超河童

芥川龍之介 河童 どうか Kappa と発音してください。 第五段より
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僕はこのラップという河童にバッグにも劣らぬ世話になりました。が、その中でも忘れられないのはトックという河童に紹介されたことです。トックは河童仲間の詩人です。詩人が髪を長くしていることは我々人間と変わりません。僕は時々トックの家(うち)へ退屈しのぎに遊びにゆきました。トックはいつも狭い部屋(へや)に高山植物の鉢植(はちう)えを並べ、詩を書いたり煙草(たばこ)をのんだり、いかにも気楽そうに暮らしていました。そのまた部屋の隅(すみ)には雌(めす)の河童が一匹、(トックは自由恋愛家ですから、細君というものは持たないのです。)編み物か何かしていました。トックは僕の顔を見ると、いつも微笑してこう言うのです。(もっとも河童の微笑するのはあまりいいものではありません。少なくとも僕は最初のうちはむしろ無気味に感じたものです。)


「やあ、よく来たね。まあ、その椅子(いす)にかけたまえ。」


 トックはよく河童の生活だの河童の芸術だのの話をしました。トックの信ずるところによれば、当たり前の河童の生活ぐらい、莫迦(ばか)げているものはありません。親子夫婦兄弟などというのはことごとく互いに苦しめ合うことを唯一の楽しみにして暮らしているのです。ことに家族制度というものは莫迦げている以上にも莫迦げているのです。トックはある時窓の外を指さし、「見たまえ。あの莫迦げさ加減を!」と吐き出すように言いました。窓の外の往来にはまだ年の若い河童が一匹、両親らしい河童をはじめ、七八匹の雌雄(めすおす)の河童を頸(くび)のまわりへぶら下げながら、息も絶え絶えに歩いていました。しかし僕は年の若い河童の犠牲的精神に感心しましたから、かえってその健気(けなげ)さをほめ立てました。


「ふん、君はこの国でも市民になる資格を持っている。……時に君は社会主義者かね?」
 僕はもちろん qua(これは河童の使う言葉では「然(しか)り」という意味を現わすのです。)と答えました。
「では百人の凡人のために甘んじてひとりの天才を犠牲にすることも顧みないはずだ。」
「では君は何主義者だ? だれかトック君の信条は無政府主義だと言っていたが、……」
「僕か? 僕は超人(直訳すれば超河童です。)だ。」


 トックは昂然(こうぜん)と言い放ちました。こういうトックは芸術の上にも独特な考えを持っています。トックの信ずるところによれば、芸術は何ものの支配をも受けない、芸術のための芸術である、従って芸術家たるものは何よりも先に善悪を絶(ぜっ)した超人でなければならぬというのです。