河童の国の機械工業の進歩

芥川龍之介 河童 どうか Kappa と発音してください。 第八段より
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僕は硝子(ガラス)会社の社長のゲエルに不思議にも好意を持っていました。ゲエルは資本家中の資本家です。おそらくはこの国の河童(かっぱ)の中でも、ゲエルほど大きい腹をした河童は一匹もいなかったのに違いありません。しかし茘枝(れいし)に似た細君や胡瓜(きゅうり)に似た子どもを左右にしながら、安楽椅子(いす)にすわっているところはほとんど幸福そのものです。


(中略)


実際またゲエルの話によれば、この国では平均一か月に七八百種の機械が新案され、なんでもずんずん人手を待たずに大量生産が行なわれるそうです。従ってまた職工の解雇(かいこ)されるのも四五万匹を下らないそうです。そのくせまだこの国では毎朝新聞を読んでいても、一度も罷業(ひぎょう)という字に出会いません。僕はこれを妙に思いましたから、ある時またペップやチャックとゲエル家の晩餐に招かれた機会にこのことをなぜかと尋ねてみました。


「それはみんな食ってしまうのですよ。」


 食後の葉巻をくわえたゲエルはいかにも無造作(むぞうさ)にこう言いました。しかし「食ってしまう」というのはなんのことだかわかりません。すると鼻目金(はなめがね)をかけたチャックは僕の不審を察したとみえ、横あいから説明を加えてくれました。


「その職工をみんな殺してしまって、肉を食料に使うのです。ここにある新聞をごらんなさい。今月はちょうど六万四千七百六十九匹の職工が解雇(かいこ)されましたから、それだけ肉の値段も下がったわけですよ。」


「職工は黙って殺されるのですか?」


「それは騒いでもしかたはありません。職工屠殺法(しょっこうとさつほう)があるのですから。」


 これは山桃(やまもも)の鉢植(はちう)えを後ろに苦い顔をしていたペップの言葉です。僕はもちろん不快を感じました。しかし主人公のゲエルはもちろん、ペップやチャックもそんなことは当然と思っているらしいのです。現にチャックは笑いながら、あざけるように僕に話しかけました。


「つまり餓死(がし)したり自殺したりする手数を国家的に省略してやるのですね。ちょっと有毒瓦斯(ガス)をかがせるだけですから、たいした苦痛はありませんよ。」


「けれどもその肉を食うというのは、……」


「常談(じょうだん)を言ってはいけません。あのマッグに聞かせたら、さぞ大笑いに笑うでしょう。あなたの国でも第四階級の娘たちは売笑婦になっているではありませんか? 職工の肉を食うことなどに憤慨したりするのは感傷主義ですよ。」


 こういう問答を聞いていたゲエルは手近いテエブルの上にあったサンドウィッチの皿を勧めながら、恬然(てんぜん)と僕にこう言いました。


「どうです? 一つとりませんか? これも職工の肉ですがね。」