映画『第9地区』レビュー

何周遅れかわからないくらいだが、つい先日、映画『第9地区』を見た。


何を書こうがもはや言い尽くされていると思うが、備忘録に書いておく。


なにかこう、実にハリウッドというのは、一見、特殊な状況を設定しながらも普遍的なメッセージとエンターテイメント性を両立させているところが、すごいなと思わされた。


現実も未来も見ようとせずに、ノスタルジアや感動に浸るだけで事足りんとする日本映画とは全く違う。


全体を通してみて感じたのは、これは『アルジャーノンに花束を』と同じ構造を描いた作品だなということだ。


というのは、映画に登場する宇宙人を単に移民問題のあからさまな比喩ととらえるよりも、障害者、あるいはもっと広く迫害されるもの=被差別者=アウトサイダーの象徴として捉えることができるからだ。


宇宙人達は「エビ野郎」と呼ばれ、明らかに隔離差別されていることが、まずベースとして示される。


その上で、その差別構造に何の疑問も持たずに乗っかって生きていたはずの主人公が、ふとしたアクシデントから「ウイルス」に感染し、宇宙人=「エビ野郎」の体に変身していってしまうというのが、この映画の本筋だ。


初め、主人公は新しい隔離地域へのプロジェクトリーダーとして選ばれ、「エビ野郎」への差別感を平然と表し、自らその宇宙人の卵を「何気なく」殺してみせるなど、「健常者」側の人間として、あるいは「自称中立」の存在として描かれる。


それが、「ウイルス」に感染し、宇宙人の体に変身した直後から、自らが人体実験の材料にされ、殺される寸前まで追い込まれてしまう。そこで、自らが「エビ野郎」であることに、被差別の対象に転落したことに気づき、移転プロジェクトの推進者としての経験を活かしながら、「エビ野郎」の宇宙人と協力関係を結び、生き延びようとする。


その過程で、何人もの人間を殺しながら。


だが、そのグロテスクな描写や殺人の有無は話の本筋ではない。それはあくまでエンターテイメントしてのアクセントであり、重要なのは、凡庸な一般人=健常者=「自称中立」が、いかにして被差別者=アウトサイダーに転落していくのかという過程である。


また、主人公が使うはめになる強大な殺傷力を持つ宇宙人の武器=巨大な暴力は、いかに、一般人=健常者側の世界の力=暴力装置が強力であるかということの裏返しだ。


もちろん、現実にはこうはいかない。被差別者=アウトサイダーは、凡庸な一般人=世間=大衆=健常者=自称中立の強力な力の前に屈服させられるのが常だ。それを、一時でも跳ね返してみせるのが映画のエンターテイメント性というものだろう。そして、映画の中の「現実」も、「主人公の完全な宇宙人化」というアウトサイダーの敗北を描いている。


アメコミにしても、それを原作とした映画にしても、いずれも常にこうした被差別者=アウトサイダーの心情や状況にまなざしを向けている。それは、そもそも移民で成り立った社会だからこそなのだろうか。逆に日本で、そうした問題がエンターテイメントまで昇華されないのは、「単一民族」神話のなせる技なのだろうか。思いつくものと言えば、『パッチギ!』などの在日韓国朝鮮人を扱った作品しか見当たらないのは、そもそも自分が映画を見る量が少ないからだろうか。


最後に明かされる「第9地区」の名称の由来もいい。


「第10地区」への移転プロジェクトが実行された、という説明が入ることによって、宇宙人の人口増加によって強制居住区がこれまで何度変更されてきたのかということが、ほんのワンテロップで映画のリアリティにしまりを付けている。


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