何故テロではなかったのかという煩悶と、優生学社会の加速への懸念

祇園事故、死亡8人に…突っ込んだ車運転の男も : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120412-OYT1T00719.htm?from=top


 12日午後1時過ぎ、京都市東山区大和大路通四条の交差点付近で、軽ワゴン車が歩行者の列に突っ込んだ。
 京都市消防局によると、18人がはねられて搬送され、40歳代から60歳代の男女計7人(男2人、女5人)が死亡した。
 車は事故後、大和大路通を北上し、約200メートル先でタクシーなどを追い越そうとして電柱に衝突して停止。運転していた同市西京区の藤崎晋吾容疑者(30)も病院搬送後、死亡が確認された。
 藤崎容疑者はてんかんの症状があり、家族から運転を控えるように言われていたという。
 目撃者らによると、車は四条通大和大路通の交差点を赤信号を無視して南側から北側に突っ切って歩行者を次々とはね、そのまま北上したという。電柱に衝突した車の運転席にいた藤崎容疑者はスーツ姿で、口から血を流してぐったりしていた。車は京都ナンバーだという。
 現場は、京阪祇園四条駅東側の四条通沿い。京都有数の繁華街・祇園の一角で、近くには劇場「南座」がある。
(2012年4月12日19時50分 読売新聞)


これがもしテロであったなら、この社会は一歩、あゆみを深めることができただろう。
だが、事実はてんかんという障害が原因の事故であった。
これではなんら人の関心をひかないどころか、障害者の生きる権利を奪い、そして厳罰主義を加速させるだけの材料にしかならないだろう。


明日にはもう、いやもはや被疑者死亡事件となったいまこの瞬間、人々の目は北朝鮮のミサイルにのみ向けられているのかもしれない。


いや、テロであったのかもしれない。
自らの死をもって無差別に命を奪い取ったという点だけを見るのならば。
原因や意図など、そこにはなんら関与する必要はない。


ある日、突然、無差別に降りかかる、容赦ない事故こそが、テロなのだから。
あるいは、日々をテロリズムにさいなまれるものとして生きる者が、障害者なのだから。


ならば、一刻も早く、そしてもう一度、いや何度でも、ミサイルが降り注ぐ、そんな状況が訪れることを、私は願った方がよいのではないかと思う。