テロリズムとは、犯罪の最上級の形容詞ではなく、哲学の一種である。
だからこそ、対症療法的に「取り締まる」、あるいは「叩く」だけ無駄なのだ。
もっと、より根本的な社会的バックグラウンド、
この世で人が当たり前に生きていくために必要な背景から制度設計をし直さない限り、
絶えることは決して、全く、絶対に、ない。
繰り返して言う、「テロリズムは哲学の一種」である。
「婢」*1でも何でもない、それはまごう事なき哲学。
故に、誰にでも手が届き、誰であろうと手にすることができ、誰に対しても行使される。
対象も、手段も、目的も、何がどう異なっていようとかまわない。
そして、そう、「何もしなくても」、それは、何らかの「力」を持つ。
そこに一人の「人間」がいる限り、それは既にして「テロル」の根源なのだ。
どこの、どんな、誰であろうと。
「自分だけは絶対に違う」という者にこそ、「テロリスト」の称号はふさわしい。
それこそ、その「人間」が、いかに無自覚に他人を踏みにじっているかを証明しているのだから。
テロリズムを理解する―社会心理学からのアプローチ
posted with amazlet at 17.09.11
*1:はしため