朝日新聞は左翼の夢を見るか?

タイトルに一言で回答するならば、
「現在の朝日新聞は、はたして左翼といえるのかどうか疑問である。」といったところだろうか。
一言といった割に、かなり歯切れの悪い答えだとは思うが、こと政治的な問題に関しては、なべてこのように断定できない/してはいけない部分がある、というのをその理由としてあげておくとしよう。
端的にその反証をあげれば、例のコネズミの「ワンフレーズ・ポリティクス」やそれに付随する近年の「ワイドショー政治」といったところである。

  • (このワイドショー政治によって最も大きな被害を受けているのは・・・・・・誰あろう「オカルトファン」であるということは、声を大にしていっておきたい。なぜ、TVタックルの超常現象特集が大晦日にしか放送されないなどという、かくも嘆かわしい事態になっているのか。つまりそれは、現実の政治の方がはるかに異常な現象となっているからなのであるが、だからこそ、こんなときだからこそ、オカルトという知的遊戯によって沸騰した脳に冷却期間を与え、異常事態を解決するにいたる思考を熟成するべきではないのか?「諸君らが愛してくれたスカイフィッシュは死んだ!なぜだ!」。「ハエだからさ」などという軟弱な答えはやめてもらおう。新たなヒーロー、フライング・ヒューマノイドがそのオカルトの王座に就いたからなのだという、前向きな姿勢こそわれわれには必要なのだ!!でなければ、そうでなければ・・・・・・夏だというのにミステリーサークルの一つも見られないという、この「異常な」現状を誰が耐えられるというのだ!!!)

という、魂の叫びを後に聞きながらも話を進めると、
この左翼/右翼という、古典的なレッテルもいまやリベラル化、あるいは交雑が進み、サヨ/ウヨといったキッチュでポップなネットジャーゴンとなっている。
とはいうものの、その根っこの部分は大して変わっていないと思うのだが、ポイントとなる点をあげれば、「党」という「集団」に対する絶対帰属的、服従的な姿勢が霧消したというところだろうか。その裏返しが、市民層の共産党への支持の煮え切らなさ、あるいは公明党(というより、その背後の以下ry)への不審感だといえるだろう。
とはいえ、党の・・・もとい、当の朝日新聞は、いまだ残る左翼の一大拠点だと目されている。というか、そーゆー「キャラクター」としてまなざされている、といったほうが近いのかもしれないが。
しかし、である。これまでも折々に、そのキャラクターに対する疑問を抱くこともあったが、今日の夕刊に掲載された文化コラム・文芸時評の内容は、その疑問を断固として確定させる、衝撃的なまでに決定的なものだった。
あまりの・・・・・・あんまりな内容に途中で本当に紙面を投げ出したほどだ。「もうみてらんない」、「アホかと馬鹿かと」。
それは、朝日の記者が書いたものではなく、「作家」への依頼で書かれた文化欄のコラムだったのだが、こんな内容の文章を載せるような新聞が、何をどうやったら「新しい歴史教科書を作る会」や「小林よしのり」やそれこそ「読売新聞」やその他を、批判できるというのだろうか。
それほどまでに、もう、どうしようもない、手の付けようのない、コラムだった。
「作家」!!
この呪わしいまでに無責任な連中というのは、なぜ、かくもこの国で知識人層に数え上げられているのか!?なぜ、ここまで無責任かつ無自覚に政治的な発言をすることを「許された」存在でいられるのか!?なぜだ!なぜなんだ?
その答えの一端については、後日改めて述べるとして、今日はそのもはや手の施しようのない当の文章に目を向けることとしよう。
そのコラムのキーワードは、「天皇」「家族」「日本史」そして「縄文」という四つだといえる。こうしてキーワードをあげるだけで、これがいかにおかしなものかに気づこうというものである。だって、これ、「朝日新聞」なんですよ?
そして、タイトルが「ファミリーロマンス」(ロマン!!)、見出しが「もう一つの日本史の底/縄文の思考、古の知恵」である。なんかもう、書く気も萎えようというものですが、もっかい言っとこう。「朝日新聞」なんですよ、これ。
細かい点はもうおいといて、投げ出したくだりを以下に引用しよう。宗教学者中沢新一*1の「僕の叔父さん」という網野善彦氏への追悼、追憶文について取り上げたものである。まず、この時点で中沢氏の相当のエリート一家育ちが、アカデミズムにおける権力の継承、禅譲、再生産を感じさせ、もはや「革命」の死んだ世界では、階級の二極分化が染み渡るだけなのかとの暗い予感を抱かされようかというものなのだが・・・・・・
そういうことは、この作家様には目に入らないらしい。だって、作家様は知識人なんだもの。以下、引用。

日本の基層となっている縄文の思考(中略)現代人であっても、脳の深いところには農耕民や狩猟民の記憶が宿っているように、近代主義の中にも遠い祖先の記憶が織り込まれ(中略)現代人の思考を左右している。

お前の頭をミキサー車に突っ込んでステキに左右にシェイクして差し上げたい。

この山梨を舞台にした中沢家のファミリーロマンスを皇室にスライドさせて考えれば、もう一つの日本史が立ち上がるに違いない。何しろ天皇家は日本でもっとも古くたどれる一族であり、「大和魂」と呼ばれる日本的霊性を体現し、(以下ry)

中沢家が天皇家?知的権力は「神的」権力に等しいと?ご自分もそれに類するものだと仰りたいのですか?作家センセイ?加えて、〈「歴史」が「文学」のハシタメと化している〉現状を、ここまで如実に示したものはないと思いますが、あなた様はまったく気づいてないのですよね?

私は夢想する。(中略)(天皇や皇太子が)御自ら古代王権の謎を解き、皇室から見た戦後史を語り始めることを。おそらくそれは網野善彦氏の『無縁・公界・楽』や『異形の王権』とも共鳴する日本論、日本人論として画期的なものとなるだろう。

何があなたをここまでナイーブにさせるというのでしょう?天皇が「よし」といったからといって、宮内庁がそれを明かすとお思いなのですか?それとも、「夢想」だからと逃げられますか?私にはこのコラム全文があなたの妄想に見えるのですが。そして、そもそもアナタ、網野氏の著作を読んでいないんじゃあないですか?かなり失礼なコトいってませんか?それから、「日本人」であることを「天皇に語ってもらわ」ないとそんなに不安ですか?アナタは生まれて今まで自分をなんだとお思いだったのですか?


で、そういう一方で、

(長崎の殺人事件に関して)ネット上には加害児童のファンクラブまでできた。ネットは妄想が萌える牧場である。

ボボボーボ・ボーボボ」風の自由連想法

なんていう風に、ネットウォッチ、2chウォッチ、オタクウォッチもしているという。

だったら大人しく引き篭もってろ!有害電波を公のメディアに流すな!!
そして最後に一言。


朝日新聞は死んだ!」


あれ?話の最初とかみ合ってないかな?w

現在、umetenの「買ってはいけないリスト」入りしている作家
村上春樹東野圭吾、<島田雅彦!>
       ↑
    「石田衣良」の間違いでした。伏してお詫びします。
     でも多分、東野氏の小説も似たかよったか(以下ry

*1:心理学者の河合隼雄氏とよくツートップを組むことで有名。「河合くん!」「中沢くん!」の掛け声で二人で交わされるパスは、まさにゴールデンコンビの名にふさわしい。ちなみに、SGGK梅原猛