3、「韓国人」(特に男性)への「高貴な野蛮人」視

これに関する典型的な例が次のブログでの議論に現れているといえます。
(参照、「韓国男だからって」http://plaza.rakuten.co.jp/simply2004/diary/200406250000/
ここでは、実際に、韓国人男性と結婚した日本人女性の現実の苦悩と、「韓国人男性」をまなざす周囲の女性との意識のズレが端的に表れています。
そこに表れているのは「韓国人男性」への過剰なイメージが、いかに「現実離れ」したものかということです。いや、そもそも異文化圏の人間と付き合う、ましてや結婚するということに対する意識が、根本的に欠落しているのだといえるかもしれません。つまり、そのイメージの中には「生活感」というものが無いのだといえます。
両者の間に必ず生まれる、現実的な文化摩擦という問題への視点が、「やさしい頼れる韓国人男性」という表象、イメージによって覆い隠され、「韓国」好き、「韓国人男性」好きの日本人女性には見えなくなっている(あるいは意図的に見ないようにしている)と、いえるでしょう。
もちろん、幸福な偶然というものもありうることでしょう。
しかし、それに対しては、次の古典的な慣用句が当てはめられるのかもしれません。
――「恋は盲目」「あばたもえくぼ」。