BSアニメ夜話「機動戦士ガンダム」 その1

25年。
一言で言ってしまうにはあまりも長い年月だ。
そう、ひとつの世代が次の世代へと交代するまでに、それは長い。

それを経たのが一人の人間であっても、いざ語ろうとすれば、「変わらない何か」があったとしても、到底、一時間では語りつくせまい。
ましてや、語られるものが数百万ものまなざしに支えられたものであったとすれば。
いわんや、25年目のそれ――「ガンダム」を、その何かを少しでも語ろうとするのであれば。

――BSアニメ夜話機動戦士ガンダム
友人(強敵)からの「話題がばらばらでまとまりがなさすぎた」「番組としての方向性も定まっていないのではないか」という意見を聞き*1、「その程度か」*2という先入見をもって番組を見たわけだが、
はたしてそのとおり、という感じは受けなかった。
むしろ、民放にありがちな、無理やりに出演させられたアニメ嫌いのアイドル・タレント相手に、「がんだむっていうのはね」「ろぼっとじゃなくてもびるすうつっていうんだよ」というようなひらがなの練習じみたレベルのお茶濁し程度の話題に終始するような浅いものではなく、
その出演者の面々は、アニメーター、ノベライズ版作家、アニメ・SF評論家、編集者、心得たマニア代表の芸人といったように、すでにして「関係者以外立ち入り禁止」の張り紙、いや「進入禁止」の標識が掲げられているかのような、実に「いい音色」を奏でてくれそうな期待を十分にさせるものだった。司会者が、クリエイターにして評論家そして消費者代表というのはいわずもがなである。
そして、意に違わず、10年以上このガンダムという作品に接してきた身*3にとっても、十分に楽しめる話題が展開されていたのではないかと思う。
むしろ、「演出家としての富野氏や安彦氏の技量の高度さ」についての解説や、「シャアは独り言しかいえないコミュニケーション不全な人間だ」という話題は、ガンダムという作品がすでに体の一部と化しているような相当不健全な人間*4にしか楽しめないのではなかっただろうか。いや、そうです、そうとしかいえない。
では、友人(戦友)が感じた右肩の違和感とはいったいなんだったのか。かの違和感の原因はどこにあったのか。
それは、彼の「戦歴」が数年と未熟であったせいであろうか?
いや、そうではない。そうかもしれないがそうではない。わかってくれるよね。

<とりあえず続く>

*1:そのメールでもって、はじめて見逃していたことに気がついたほど、配線の都合でBSから遠ざかっていたわけだが、このほど「どうにかして」見ることができた。本題とは少しずれるが、デジタル化、ブロードバンド化社会においては、もはや「録画」という概念および行為が、急速に変質、消失しつつあることは確かであろう。

*2:もし、ここで池田秀一ボイスが響いたあなたは重症です。手のつけようがありません。

*3:うわまじですか・・・改めて考えるとどうかなー

*4:「あえて言おう、カスであると!」