流れよわが涙、と青年は言った

父と母の生きてきた時代には、
お金は無くても、社会には確かな未来と希望があった。
僕が子供の頃には、
社会には未来も希望もなくなっていたけど、お金があった。
大人になった今、
社会にはお金が無い。そして、未来も希望も無い。


社会にお金が無いのなら、せめて未来と希望がなくては、
人が生きていけない。
父と母が時代を生きてきたのは、
お金じゃなくて、未来と希望のおかげだったのだから。
























今日、16歳の少年二人が自殺した。この国では毎年三万人が自殺している、だからあと二人くらいどうってことはない。
そこにもう一人くらい加わってもどうってことはない。




■01/13〜23時ころ
「あ〜なたの夢を〜あきらめ〜ないで〜♪」
このタイミングで耳にするには、あまりにも酷な歌詞のような気がした。苦笑した。
「くじけぬように〜くやまぬように〜あなたらしく輝いてね〜♪」
くじけないことも肝要だ、くやまないことも肝要だ。
だが、それで輝けるかどうかを、社会というフィルターを通して秤にかけなければならない。
今は……そのような時代だ。
いっそ足元だけを見つめ、「もう一人」へと加わってしまった方がいいのかもしれない。


「君はそうしたほうがいい」という他人は、やはり他人なのだ。
責任は、自分にしかない。誰も、その保証はしないのだ。
その先になにがあるのか、なにもないのか、地獄の口が開いているのか、ぱらいそなのか。
出来ることなら「そうして」もみたい。
出来ることなら「そうして」もみたい。
だがそうしたところで、生きて行けるかはわからない。
少なくとも、親の命を削ることにはなろう。……弟メお前もカ
そして、また、同じこと、同じ今を繰り返す愚かさを、私は持ち合わせている。

だが今日、復員の福音の音連れはなかった。その夢を切断してくれる福音は。
「鳴らない、電話」
このタイトルに余韻を感じるときがこようとは。

「切断する」のか、「つなぐ」のか。
やはり自分こそが主体か。そうなのか。