【2004年12月】

宮崎アニメはどこへいった?――ハウルの動く城を見て
公開前から不安要素がいっぱいあった『ハウルの動く城』を見て、観劇前とはまた違った意味でショックを受けた後に書いた感想記事。否定的視点となっております、念のため。(だからどうした、という姿勢でお読みください)


mixiはやっぱりネオ・マーケット
SNS mixi批判第三弾。「釣堀」から一歩進んで、「純粋な」マーケットの奴隷を生む奴隷牧場なのではないか、という視点。ちょっと尻切れトンボかも。


ブログは私の楽しい狩場
SNS mixi批判第三弾、の補足。ブログって実はコワイよ、という視点。


電信柱が長いのも、郵便ポストが赤いのも、少子・高齢・超高齢化も、未婚・晩婚・非婚化も、不況・失業・無職化も、全部男が悪いのよ。――女性をオニババ化させないために
話題の「オニババ本」批判。読まずに批判する最低な批評の例。でも、読まなくてもわかってしまう話だという意見も…?


それがアカデミズムではないのか?
R30::マーケティング社会時評「プロのジャーナリズムとは何かについて考える・最終回」へのトラックバック記事。
ブログジャーナリズムの収益体制として提案される「頭のいい人、面白いことの言える人、1つのことに粘着して徹底的に調べられる人に、みんなが自然に(無意識に)お金を渡す仕組み」こそ、そもそものアカデミズムの役割だったのではないのか、という指摘。
ここから、スピンオフして、こちらのブログの「なぜ大学は研究を手放さないか」というエントリで引用されていました。


「守ってくれる男」がいない?〜ああ悪い、男が悪い、悪いのよ〜
バンキシャ!での「ヨン様を探せ!韓国お見合いツアー」に大挙する30代女性という特集へのツッコミ。
男のせいですかそうですか、という視点。ちょっと興味深いことに、「守る」って結局どういうことよ?という疑問に発して、コメント欄では、「守りたくない男、守られたくない女」というすれ違いの存在が暗示される。さて。


人はオタのみにて生きるものにあらず〜オタクとコミュニケーション〜
モテ/非モテ話がブログ界隈で盛り上がっていた時期に、自分の中のまとめ的に書いた長文。結果、「非モテ」だと韜晦して見せるよりも「もてない男」だ、との自覚をする=宣言することに意識の起点を置くべきでは……ということを書くつもりが、結果的にオタク論へシフト。「ライトオタク」(岡野勇)概念ともからめ、オタク誕生の経緯を「コミュニケーション」の観点を用いて社会環境面から考察。
書いている間中は相当混乱していたので無理やり文章をつなげたような部分も無くは無い。複数のエントリに分かれているのがその証拠か。
loveless zeroさん、純粋なココロさん、恋愛弱者蜂起計画さんなどからリンク・トラックバックをいただく。