クビダイ・ハーンの妄言

内田樹の研究室「首都大学東京の光と影」
この評に付け加えることは一切ない。
首都大学東京の「中身のなさ」が痛いほどよく分かる。
大衆の「無意識の鏡」たる、かの「将軍」の文章力、「作家」の想像力とは所詮この程度だということだ。
また、

生活感覚もない先生の経済学や経営学の話……

という当の本人が、政治的センスのない政治家だというのは何かのギャグですかそうですか。


日本という国が、自壊していく一端がこの「大学改革」にある。
これは、NEETよりも、ひきこもりよりも、少年犯罪よりも、少子化よりも、はるかに効力の大きい、
日本に対するテロ行為だ。
弱者を悪とあげつらう片手で、強者が自ら国家の基礎を掘り崩しているのである。
愉快極まりない。
いっそのこと、もっと派手にやってもらいたいくらいだ。


さて、一つだけ突っ込んでおきたいことがある。
この部分だ。

新大学には、色々な新しいシステムを取り入れます。例えば、学生の皆さんが大学に入った後思い立ち「よし、俺は青年海外協力隊で一年間カンボジアへ行ってくる」とか「アフリカへ行ってくる」という場合でも、それを得難い体験として修学と同様に評価し進学させたり、それを単位にしたりすることを考えています。

一度でも、説明会を聞きに行った人間ならわかるだろうが、
青年海外協力隊とは、無知な学生がおいそれと参加できる生半可なものではない」のである。
そして「一年などという短期の派遣などそもそも存在しない」し、あったとして、植民地的情熱に身を焦がす自己満足程度のものにしかならない。
そして、
もし、「学生でいられる年齢」*1で、青年海外協力隊に参加できるような人間がいたとしたら、
その人間は、もはや学生になる必然性がまったくない。

そして、最も声を大にしていいたいのは、
そのような人間は少なくとも、首都大学東京に入学することなどありえないだろう、ということだ。


そして、この放言にあるもう一つのポイントが、
「○○へ行ってくる」ということも単位にしたりする、という点である。

もうお分かりだろうが、
ここで間違っても、イラクなどへ行ってはいけないのである。

もしそういう人間が出れば、かの「将軍」は嬉々として自分に恥をかかせた「大悪人」いや「非国民」だと、「公務」として罵詈雑言を浴びせ掛け、そして、単位をくれるどころか、
退学処分に処すだろう。

「国には国民を救う義務はない」というのが、「将軍」の基本スタンスである。
もちろん例外はある。
その「国民」に触れることで政治的なメリット=支持率の上昇が見込める場合だ。
「「敵」から被害を受けた拉致被害者自衛隊で取り戻すことの何が悪い」という発言がそれだ。

そのように利己的な姿勢こそを政治的に正しいとする政治家が、人気No.1とされ、それをさも「当然」とみなすこの国の空気があり、そのような政治家が好みのままに改造した「大学もどき」は、
結果的に、いや必然的に、「利己的な人間しか輩出しない」ことになるだろう。




社会的に有能な人物は寄り付かず、利己的で排他的な人間だけが量産される「首都大学東京」。




これこそ、バブル崩壊後の自殺者の怨念が形となったかのような、亡国の砦ではないか。




――すばらしい。



公立大学を「効率」大学にすべきか?経由

*1:これ自体が恐ろしくバカな話だ。こんなものがあるのは日本くらいだ。