いじめはなかった、だと?

「在学時にいじめにあっていたという事実が確認されていない」?
「つじつまが合わない」?
「セクハラはなかった」という問いが立てられないという現状をこそ、まっとうに受け止めるべきではないのか。

そして、
これをいじめられる側の「自己責任」といった瞬間、テロのサイクルが開くだけ、だ。
特定少数への暴力は、結局、不特定多数への暴力として社会に帰ってくることになるのだ。
自己責任?自己責任?自己責任?
笑わせるな。


もし、その言葉が当たるとすれば、
殺された人間にこそ、ふさわしい。*1

*1:レトリックとしての文脈であり、故人を貶める意図はないことを明記します。