怪人ネット右翼の正体、

そは実は仮面リベラルなのではないだろうか。


それを「右翼」と断じるのは、今だに「正義」が「左翼」にあると信じる人々の信仰告白でしかないのではないか。
もちろん、そんな「正義」などというものは「右翼」にもない。
だが、


講座派も労農派もとっくに死に絶えたこの世界で、
科学も死に、科学の子も瀕死にあえぐこの世界で、
何が悲しゅうて「左翼でなければ右翼である」という命題を振りかざしているのか。


非左翼なら右翼か、おめでてーな。(ネット右翼っぽい言葉使い)


ネット上にあふれるそれらの言葉は、相手を理性的に批判しようとするがために、理の当然の結果として、その存在を思考や理論に基づかせた左翼への批判となるのだ。
その存在を感情に基づかせた右翼を、いったいどうして「批判」することが出来ようか。
右翼というバカモノバケモノに対して、どう言葉をかけられると言うのか。
言葉の通じない相手に、誰が話しかけようとするだろうか。


そして、人は怪人となる。そこにショッカーの影は無い。ゴルゴムの仕業でもない。


人々は、批判し得ない右翼を見限り、まだ理性で対話可能な左翼へと、その目を向けているだけなのだ。
むしろ「左翼」は、ネット右翼の多からんことを、喜ぶべきではないのか、願うべきではないのか。
怪人ネット右翼、その正体は仮面リベラルなのだ。




でも、「さるさる日記」は全体として右翼っぽいイメージが(w
→→→代表例、クライン孝子




ちなみに「最もわかりやすい対象」を上げて、私の態度を示すならば、
別段、朝日新聞が特別に「偏向している」とは思わない。
「偏向している」とすれば、読売新聞も同様に偏向している。*1
さらに、産経新聞などはもっと「偏向している」だろう。
当然、日経新聞も「偏向している」。
あと、毎日新聞はよく分からない。

そして、「社説」などと言うものは、各社所属の記者の総意でもって書かれているわけはなく、年経た老人が合議で以って「好きなこと」を言っているに過ぎない。


さて、このようなスタンスを人が見れば、どのように受け止めるのであろうか。




おいらブログ: 議論樹形図 ネット右翼編
おいらブログ: ネット右翼に関する考察

ここにいうネット上のダイレクトな「青い正義感」の表明に対する、
年相応の対処法を知って(身につけて)いるか、
あるいはネット特有のジャーゴン諧謔的、韜晦的な作法を知っているか、
そして、それがまぎれもなく「コミュニケーション」の一種であると認識するか(できるか)どうかが、
ネット右翼の誕生」を左右しているのではないだろうか。


青い正義の怨念が、浮き出た顔の醜さを、隠す仮面がネット右翼
その怪人の正体は、この世の「正義」に釘を刺す、萌え出る若きリベラルか。

*1:ついでに、オタク記事的にも偏向している。というか特化した記者がいる。