想像力のないアメリカ人好みに反地雷キャンペーンを

国連製作の反地雷キャンペーン用のCMが「問題」になっているらしい。

アメリカの女子高校生が公園の芝生のグラウンドでサッカーの試合をしている。
その最中、ゴールを決めた選手が駆け出した直後、突然地雷を踏み爆発する。
逃げ惑う選手、泣き叫ぶ観客、両親。
日常が一転し、楽しげな日曜日の風景は一瞬にして恐怖と混乱に包まれる。

という内容なのだが、
その内容のショッキングさから、アメリカではメディアから総スカンをくらい、すべての放送ネットワークが「自粛」し、結局一秒たりとも放送されていないという。
そして、脊髄反射的な反感として、国選主催の反地雷キャンペーンだったものが、アメリカの「普通の市民」主導の反国連キャンペーンになっているらしい。
問題のCMは、
ここStoplandmines.orgの「See the Video」で見ることができる。


さてこれを見てどう思われただろうか?


地雷という非人道兵器の「日常性」、そしてその効果と恐怖が実に端的に表現された、秀逸なCMだというのが私の感想だ。


こちらのブログでは、アメリカでの反応を引用され、「不快だから見たくない」という感情的としか言いようのない反応が多いことを示されている。
a19ine.com:8months off「国連の反地雷CMのアメリカでの反応」


さて、そのような「愛国」のスローガンの下、「アメリカ」に対する批判と受け取れるものへは容赦なく脊髄反射で否定しつくし、徹底して無視し、その存在をなかったことにするといったような反応をみせるアメリカ人に対して、「反地雷キャンペーン」を効果的に展開するにはどうすればいいのだろうか?
それは実に簡単なことだ。
彼らアメリカ人の想像力が及ぶ範囲内でCMを作ることである。
「反地雷キャンペーンにはアメリカが先導役を果たすべきだ!」といった感傷的な反応を獲得することだ。

裸足でボロきれをまとった日焼けした子供たちが石だらけ穴だらけの土の上でサッカーの試合をしている。
その最中、ゴールを決めた選手が駆け出した直後、突然地雷を踏み爆発する。
逃げ惑う選手、泣き叫ぶ観客、両親。
「日常」が顔を出し、停戦中の一時の休息の風景が再び恐怖と混乱に包まれる。


テーマと主題は、国連製作のCMのままである。
ただ、登場人物と舞台を第三国に置き換えた、それだけである。
アメリカではないどこか」で起きている現実をありのままに表現した、それだけである。


この問題から読み取れる要点は、
「彼らアメリカ人に想像力を期待してはいけない」ということである。
わかりやすく、簡単に、直接的に、そして「常にアメリカが善人として振舞える」ような問題の見せ方で、キャンペーンを展開しなければならないのである。
「カワイソウな発展途上国の貧しい子供たちに愛の寄付を!!」
こう訴えれば、アメリカ人はソーダ色の涙をスーパーサイズカップからあふれんばかりに流しつくし、自らが神に愛されるために喜んで多額の寄付を投じるだろう。


「馬鹿とハサミは使いよう」
――そう、国連はアメリカを大人扱いしすぎたのだ。