「マイノリティ」バッシング

こっちは、あきらかにバックラッシュ的。
煩悩是道場 - 自分たちの事を「マイノリティ」なんて言うのヤメなさいよッ!
そして、それに萎縮し沈黙させられるマイノリティ精神。
むぎむぎ - ほんとうにマイノリティなのか


マイノリティのみが、こうやってその政治性を「暴き立てられる」様は、それこそマイノリティの存在とその現状の苦しさを浮き彫りにするものではあるが、
一方、マジョリティの側は、可視化された政治性を持つだけに、「暴き立てられる」という「形式的非難」を免れ、逆に「普通」「当然」「常識」「当たり前」といった「自然的文脈」でもってのみ言及される。


そこにあるのは、「悪とは潜在するものである」という無邪気な信仰なのか。
「大きすぎて見えない」ものは、その「大きさ」という点に性善説的なイメージを読み込まれるのか。


あるいは、それぞれに「逆らう」ときに予想される「被害」の大小が、その反応を違えさせるのか。


いじめの構造じみてきたな。


<参考関連>
HODGE’S PARROT - ネオ・リベラリズム時代の多文化主義