ポスト「神話」時代の結婚

なにやら「結婚」というのは「できること、しなくてはならないこと、社会から期待されていること」なのらしい。

中日新聞 - 格差社会の「自分探し」― オトコが揺らぐ
聖心女子大文学部の岩上真珠教授は、今楽しければそれでいい「現在主義」の考え方と、相手を自分で探さなくてはいけない「自己決定社会」を背景として挙げた。
子どものころから親や周囲が決めたルートを進み、自分で選ぶという訓練が足りない。結婚という重い決断にためらい、先送りしてしまう若者も多いという。岩上教授は「あなたにできること、しなくてはならないこと、社会から期待されていることを教え、自己決定力を育てる必要があるでしょう」と説いた。

でもこれってさあ、相当お馬鹿な話だと思うんだけど。


「自己責任」において「現実」を受け入れろ!と言う一方で、
その同じ口が「あくなく欲求を抱き続けろ!」とか「諦めることは許さん!」とか言ってるわけでしょうよ。


で、挙句の果てに「精神的に弱すぎる」だの「はっきり言って「逃げ」だ」などという根性論や精神論、はたまた「人間とは命のバトンをつなぐもの」などとという精神世界論でもって蔑まれるのだわ。


「自己決定力を育てる必要がある」???


もうしてるよ、「自己決定」なんて。


この国で起こっている出来事はすべてがすべて、みんながみんな、この世の出来事をことごとく自己責任において「現実」として受け入れたがための結果ですよ。
なにが悲しゅうて、「自己責任」以上のものを抱えなきゃならんの?


だいたいなんなんだ、そのろくすっぽ人に伝わらない屁理屈の数々は。

テストは「自分発見」と「結婚アプローチ」の二種類で、それぞれ六十問。「野球やサッカーの応援で騒ぐ人は軽薄に見える」「愛着のある道具を長く使うほうである」などの質問に「はい」「いいえ」「わからない」で答えていく。
「あまり考え込まずに答えてください」と指示された。


<「普通に恋愛」して「普通に結婚」した人間がコミュニケーション能力にあふれた人間だ>って考えが、いかに神話的なものであるかが、あふれ出す煮汁がごとく一目見て分かりますわ。


要するに富国強兵の肥やしたる愚民・臣民どもはグダグダつまらんこと考えるなってことですか。
リスクもデメリットもろくすっぽ考慮せずに、DV男だろうとメンヘル女だろうと、相手構わずテキトウにくっ付いてヤリ合って、さっさと「資源」を再生産してろってことですかそうですか。


そもそも、今この時代に一人でいる人間ってのは、「ドラマのような恋愛」だの「夢のような結婚生活」だのといった垂れ流しの寝言ポエムなんぞには、もう目もくれんし耳も傾けんし心揺れんのですよ、金・輪・際。


もうそんな盲目的な「神話的コミュニケーション」が一律に通じるような時代じゃねんだよ。


ほんともう、「コミュニケーション神話」側の人間は馬鹿ばっか。死ねばいいのに馬鹿ばっか。馬鹿だけが生きてはびこってる。


真っ当に考える力のある人間ほどその「場」の圧力でつぶされて排斥されて消されていく。
で、そういう人間に対して「考えるな!股間で感じるんだ!」というディスコミュニケーションスキル信仰を植えつけ流し込む洗脳をせっせと仕掛けてくるわけだ。


ゆとり教育ってのは「考えられない人間」を増やす、そのための布石だったのでしたか?
でも止めたんですよね?


で、結局最後は、「情緒に訴える」と言うお定まりのパターンのもう湿気きって口にする気にもならないオチ。

「三十代半ばになって、寂しいという感情を素直に受け入れられるようになったのかな。一人で楽しく生きていけると思っていたのは、自分を守るための空意地だったのかもしれない」


もうね、アホかと馬鹿かと。


「一人=寂しい」←→「二人=楽しい」?お前は二度三度死んで来い。


単純すぎて魂が死線を彷徨うわ。三途の川辺でピクニックができるわ。


どうでもいいんだよ「生きる」ことなんて。
寂しかろう楽しかろう苦しかろうが嬉しかろうが、生きてりゃいんだよ生きてりゃ。


それでどーすんのよ、「お見合い結婚」なんていう「カーストの最下層」に嬉々として仲間入りができるっての?いまさら?


つか、金があるヤツはもうこの際どうでもいいよホント。


「自己責任」と「現実肯定」でもって、もはや何も持たない人間には髪の毛一筋の関係もハナからカケラもない話だ。


もっと論理的かつ合理的かつ理性的に「結婚」とやらの効能とメリットを説いて見せろよ。


できるもんなら。










というかこの記事は、未婚化の話を無理やりオタクの責任にしてるところがそもそもおかしいんだけどね。


なんにしてもオタクが原因なんだとさ。オタクは社会の病気なんだってさ。


はいはい「治療」「治療」。


ナニが正常なんだかwwww