自己責任論という大乗不信論

ネオリベ的な世界観からしても、個人救済・自己救済型の上座部的な志向の方が、都合がいいのだろう。
だからって、それが何か全てである、となってしまわないためにも、大乗主義を貫きたいが、はっきり言って分が悪い。
はいはい甘えるな甘えるな。
だからって、親に与えられた限界が元で否定に晒され差別に晒される「学級階層問題(スクールカースト)」のようなものに対してまで、自己責任が問われるというのか。
「お笑いキャラ」という「階層」を甘んじて受け入れなかった責任としての人格否定などというものが、「諸君」らの「正論」としてまかり通るのか。
「その程度の傷」などにいつまでもかかずらわって、未熟軟弱なことを行っていることが自己責任なのか。
人間は「平等」に「自然」な感情を持つのだから、機会は「公平」に「自由」に開かれているのだから、それをつかめなかったものが愚かで悪いというのか。










セカイはどこまでも美しいな。