「エレガントな支配」への堂々たる宣言

グーグル村上社長「2009年には“人類の知”がすべて検索可能に」


最後に村上氏は、3年後の具体的なGoogle像を展望。「2009年にはおそらく、“人類の知”と呼ばれる分野のデータはすべて検索可能になるだろう」と予想した。そして「透明性の高い(検索結果の)パーソナライズを実現するために、ユーザー自身のことを教えてもらいたい。そして、何かを聞かれたらGoogleが即答する環境を作りたい」と具体案を示し、講演をまとめた。


インフラを支配することが世界を支配すること。
昔鉄道、今ITという、超帝国の系譜がここに。
こういう事態を状況として、自然として受け入れたら、「終わり」だと思うんだが。
もちろん、自分自身もこの技術から恩恵を受けもし、つまり同時に依存してもいるわけだが。
だが、それにしても、こうまで肥大化した「技術」に対しては、鈴をつけようとする動機すらも失われがちになろうというところを、絶えずそれを意識する訓練を続けておくべきじゃあないのか?
だってこれは色は違えど「みんな」が嫌いなマスメディア=マスコミなんですぜ?
「生まれたときからGoogleがあった」という時代が否応なしにもうすぐ来ることになるのだけれども、
「生まれたときからテレビがあった」時代の人間としては、ブラウン管のこちら側のひ弱さだけが肌身に染みていることを考えるに、
これからはもっと相当以上に非常に恐ろしい時代が来るのであろうな、と、
どうしようもなく感じるのだ。








われわれはテレビを殺したかもしれない。だが、同時にネットに殺されてもいるのだ。