実は難しい「肩掛けカバンをたすき掛けにして強調されたムネ」の「新しい呼び名」というお題

「我等にも「絶対領域」を!」という叫びがどこからともなく聞こえてきた。

それはともかく私の大好物な”肩掛けカバンをたすき掛けにして強調されたムネ”は、この「絶対領域」みたいな呼称が無いものなんでしょうかね?

Dual pony ”肩掛けカバンをたすき掛けにして強調されたムネ”は、この「絶対領域」みたいな呼称が無いものなんでしょうかね?


(なんかうまくリンクできてないので、修正→Dual pony -Entrance-
 ↑からご確認ください。


そも「絶対領域」とはなんであろうか?
上のリンク先では、次のような定義を引いている。

絶対領域(ぜったいりょういき)とは、女性がミニスカートとオーバーニーソックスを着用した時に太ももの素肌が露出した部分を指す言葉。(wikipedia

絶対領域」は、ミニスカートとオーバーニーソックスと太ももという三つの要素から成り立っているようにおもわれるが、端的に言って、その言葉によって指し示されたポイントは、太ももの一部分にのみ限られているのではないか。


このことを一面的に捉えるならば、「新しい呼び名」に必要なものは、単にムネを指し示す言葉であればいい、ということになる。


だが、そうはならない。


なぜならばという理由は、「絶対領域」に目を戻したときに見えてくる。


はてなキーワードで確認してみよう。

絶対領域


スカートとオーバーニーソックスの狭間に存在する空間。

一部の人間に絶対的な効力を及ぼすことからそう呼ばれる。

絶対領域」という言葉は伺か(当時の呼称は『何か。(仮)』)のゴースト「まゆら」で使われる事によって有名になったが、「まゆら」の作者である夢蛍氏曰く、「ゴースト『せりこ』の作者MIY氏が『まゆら』に対して使ったのが最初のはず」とのこと。

「スカートとオーバーニーソックスの間に、フトモモが見えればいい」というものではなく、どのくらい見えるか?が、絶対領域の重要条件とする考えもある。

[ミニスカートの丈] : [絶対領域] : [オーバーニーソックスの膝上部分] の比率が

4:1:2.5 が黄金比とされ、許容範囲は±25%程度であるという意見が有力。

絶対領域」という言葉は現在、株式会社バンプレスト登録商標出願中である。


そう、「絶対領域」という言葉には、その背後にこれだけの情報が詰め込まれているのである。


「要するに、ふととも」というのではなく、あえてそれをして「絶対領域」と言わしめるためには、これだけのバックボーンを必要とするのである。


すなわち、「肩掛けカバンをたすき掛けにして強調されたムネ」に「新しい呼び名」を、というお題は、実は、それに伴う「強烈な概念定義を示す口上」暗に要求しているのである。


それは、ハッキリいってかなり難しい作業であるといわざるを得ない。


なぜならば第一に、自らが「肩掛けカバンをたすき掛けにして強調されたムネ」に対する強烈な思い入れがなければ、そのような妄想がかった文章などひねり出せないからである。
また第二に、それが妄想であることを覆い隠す程度に、その文章を科学的、あるいは哲学的な記述に書き換え=翻訳しなければならないからである。
そして第三に、その強烈な妄念を静かにたたえた文章を、ただ一言で象徴的に言い表す、日本語としての音韻のセオリーを踏まえた耳障りのいい、短いフレーズにまとめなければならないからである。
さらに第四に、例えば「絶対」のように、形而上的な響きを持った単語を含ませて、その短いフレーズ神秘性をまとわせなければならないからである。






絶対領域」……恐ろしい子!!






だが日本には、一見まったく異質であるが、それよりもはるかに先んじた「ある言葉」が存在する。


絶対領域」の先祖に当たるその言葉とは……


実は、「ガチョーン」である。

「ガッ」とつかんで「チョン」と引く、だからこそのガチョーンである。
呼吸をため、裂帛の気合とともに、万物をつかみ寄せるのが正道とされるガチョーン
麻雀で牌をつもる動作から思いつかれたと伝えられるガチョーンは、掌で虚空をつかんだ瞬間に真空を生じさせ、それをガチョーンと引き抜くと、空間のバランスが一挙に崩壊し、ハラホロヒレハラな不安定状態を現出させる。


いったん引いた手を、また出したり、引っ込めたりするのは邪道で、達人のガチョーンは海をも割るという。人の顔の前でガチョーンすることなど、もってのほかである。
asahi.com : コラム : AIC:エド村崎のフィルム・マニアーク『クレージーだよ 奇想天外』*1


見よ!この素晴らしいまでの「極意」を!


そして、まさにその精神を受け継いだものが、「絶対領域」であることが一目瞭然にお分かりいただけたかと思う。


と同時に、それに並ぶ「新しい呼び名」の要求するレベルがいかに高いものかも、これで明らかになったのではないだろうか。






残念ながら、今の私にはガッツが足りない、いや、妄念が足りない。
最後に、この難題に挑む勇者諸君に、僕自身の限界を示すことで、この「肩掛けカバンをたすき掛けにして強調されたムネ」の「新しい呼び名」というお題への回答に代えたいと思う。

勇者諸君へ


この記事をもって、僕のオタクとしての限界を示すものとする。
まず、僕の限界を解明するために、加野瀬教授に病理解剖をお願いしたい。
以下に、「肩掛けカバンをたすき掛けにして強調されたムネ」の「新しい呼び名」についての愚見を述べる。
を考える際、第一選択はあくまで下の神秘性に対する、上の神秘性を象徴するものでなくてはならないという考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであるように、発見した時点でガッツや妄念を不足させたオタクがしばしば見受けられる。
その場合には、内輪ウケを含むネタ化が必要となるが、残念ながら、未だ満足のいく成果には至っていない。
これからの「肩掛けカバンをたすき掛けにして強調されたムネ」の飛躍は、断固たる、譲れない定義の確立にかかっている。
僕は、勇者諸君がその一翼を担える数少ないオタクであると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
諸君には「新しい呼び名」の創造に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、「肩掛けカバンをたすき掛けにして強調されたムネ」が、この世を謳歌することを信じている。
ひいては、僕の記事を病理解剖の後、諸君の研究材料の一石として役立てて欲しい。
屍は生ける師なり。


なお、自らオタクの第一線にある者がネタを消化できず、「新しい呼び名」に達せぬまま筆を置くことを、心より恥じる。


umeten

*1:ほかにも本人の言葉として、『ガチョーンの極意は「万物生きとし生けるものすべてを引きずり込み、一瞬、真空状態にしてガチョーンと引き抜くとバランスが崩れて周りの人たちが皆なだれ落ちる」−−−という深いギャグなのである。「七人の猫とトロンボーン 」 (谷啓)』のような説明がある。
クレージーキャッツ:メンバー [FUKUSHI's Web Page](谷啓の項より)