「リアル主義」者は現実的か――オフ会なんてリアルじゃない!

OhmyNews:姜尚中氏が語る『愛国の作法』
「ただ、日本では新聞への信頼性はあっても現実に読まれていないという状況があり、日本のオーマイニュースは踏み込んでいけるのではないか。市民記者ともオンラインだけでなく、こういった顔を合わせるオフラインのつながりを充実させていくことが大切だと思う


リンク先の本題と全く関係のないところを引いてきて申し訳ないのですが、強調部分にひっかかりを感じました。
要点をあえてもう一度引用しましょう。

「オフラインのつながりを充実させていくことが大切だと思う」


非常に「よく聞く」タイプの話のこれまた典型的な言説なワケですが、
何度かオフ会に参加してきた経験上、えぇもう著名著作人お墨付きのその「体験」をした上で、
あえて、ではなく、ハッキリいって、「これなんか違うだろ?!」と、思うのですがいかがでしょうか?
別に、ネットとリアルを乖離させて二律背反鏡面世界を作り出し、鉄人兵団ごっこをしようとかそういうことではありません。*1
ですが、リアルの関係さえあればなんでもかんでも問題が解決し、事態が展開、発展していくのだといわんばかりのこうした言い草には正直、非常に「年寄り臭い」印象を持ちます。
別に、ナウでヤングなゆとり世代であることを主張したいわけではありません。*2
「リアル主義」あるいは「オフ会信仰」とでもいうべきこうした発言には、何かその前提を違えている気がしてならないのです。



そう、問題はその「前提」です。



第一の問題は、そもそも全人格的な交流など現実的に実現不可能なものであることです。
「リアル主義」の方々は、オフで会うことがいかにも「全人格的な交流」であるかのごとく考えているようなのですが、そんなものはオフ会のような「ネット―リアル型」のつながりにおいてどころか、一般的な「リアル―リアル型」のつながりにおいてもなしえません。
だいたい、会話=発話ほど人間の表現能力を物理的に制限するものはありません。
いわんや、「つながり」程度の時間で交わされる会話などに、いったいどれほどの情報がこめられているというのでしょうか?
例を挙げれば、それはネットニュースとテレビニュースの体感差、知覚差と同じです。
ちんたら長たらしいくどいテレビニュースから一体どれほどの情報量が得られているのでしょうか?
同じ時間でネットのニュースに接すれば、最低でもその2倍から3倍の情報量を得ることができるでしょう。
「「飲みニケーション」こそが本当のつきあいだ」(関連:花見川の日記 - 酒を飲ませる人の心理)などというゴタクがゴタクであるゆえんもまた同根です。
ただでさえ制限された会話というフォーマットに対して、酒によって知覚と活舌の鈍化がもたらされ、さらに暗黙のうちに強要される「ノリ」によって思考が封殺されるという、あの状況。
「リアル主義」の信仰がもたらすのは、恐ろしいまでに静止した空虚な時間でしかありません。
その呪縛が解けた瞬間、疲労がナイフのように突き刺さり、重い後悔がロードローラーのごとく襲い来るのです。*3
大体、なんでオフ会がいちいち飲み会になるのかも理解できません。飲まないほうがよっぽど面白い話が出来るはずなのに。



第二の問題は、オフ会=「ネット―リアル型」のつながりで求められるのは人格の全面ではなく一局面だということです。
そう、わざわざ「リアル」として設定された場であるオフ会とは、あくまでネットの延長線上のものなのです。
その「リアル」な場において求められるのは一にも二にも三枝のネタにも、ネット的な話題、ネット的な人格の一局面なのです。
「あの話題なんですけど……」「コメント返せてなくてすみません」「あそこで揉めてたのって<誰>だっけ?」などなど、オフ会での会話は傍目に見ても斜めに見ても、いかんともしがたいまでに偏ったものです。
そうでなくとも、オフで会うくらいの関係なら、そこで通じ合う趣味の話題というのも狭いものです。
また、「リアル主義」者が言いそうな「実際に会えばその人の背景や現実を知ることができる」などという考えも、ゴキゲンにお花畑な考えというものです。
そんなことをわざわざ話したがるような押し付けがましい目立ちたがりは、おとなしくmixiで実名をさらしているがいいでしょう。
ましてや、それを相手に強要しよう者がいたならそれは愚かというほかありません。
この点において「リアル」に交わされる会話は所詮、ネットの補完に過ぎません。
しかも、それは断章的に補完されるものであって、まともに蓄積も展開もされません。
いうなれば、ネタの垂れ流しです。
オフ会で何か新しい着想が得られたところで、それが実際に芽吹くのは家に持ち帰ってモニタに向かった時です。
大体、オーマイニュースの市民記者同士が実際に会ってみたところで、話す話題といえばオーマイニュースのこと以外には広がらないというのが現実ではないでしょうか。
断章的な補完であれば、ネット上でも十分に可能でしょう。
むしろ、ネットを介したほうがよほど深いものが生まれる可能性があり、ログも残るというものです。



第三の問題は、「日本人が行う議論」のほぼ全てが「声の大きいものが勝つパワーゲーム」に終始するということです。
これこそが、誰しも感じるところであり、この国において会話の空虚さをいや増しているものの根源であることは疑いないでしょう。
オフ会においても、声の大きさ、話す時間の長さが、その内容とは無関係に場を物理的に支配します。
いかに無用な発言であろうときっかり同じ時間を共有しなければならないという会話の物理的特性は、即時的ネットコミュニケーションに慣れた者に対して、精神的にも肉体的にも疲労を蓄積させることでしょう。
せっかくのオフ会という「リアル」を耕そうという試みも、この不文律の前には成す術もありません。
確かに、オフ会だからといって別に、議論をする必要はないでしょう。
しかし、オフ会に参加する者には、ダラダラ交わされるだけの重荷のような会話を持ち帰るためだけでいいという意識はあまりないのではないでしょうか?
むしろ、オフ会に参加するからには、なにがしかの「お土産」を持ち帰りたいというのが偽らざる本音ではないでしょうか?
それにしても、「リアル主義」を掲げる人間はよほど自分の声の大きさに自信があるのでしょう。
その中身のなんたるかへの自覚はともかくとして。




さて、以上三点ほど「リアル主義」の前提が抱える問題を指摘しました。
最後にそれらをまとめて言えば、この一言に尽きるでしょう。






「オフ会なんてリアルじゃない!」

*1:こういう方向の批判が惑星的なワケですが、それはまた別の話。

*2:ちなみに世界史は履修しました。(時事ネタは風化するぞ〜ってあ〜る的な突っ込み)

*3:無駄だから嫌いなんだ。無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄……無駄ァッ!!