女を降りる、男を降りる

「女を降りる」ってセリフはよく聞く。いや、たまにだけど。じゃあ「よく」じゃねーよこのスカプラチンキがとかいうハナシはおいといて、「女を降りる」ということについて、その中身をふと考えてみた。

1、化粧をしない
2、9号サイズ(だそうです*1)の標準体型を維持するしない(うわーブクマコメント読むまで気づいてなかった……orz)
3、オシャレをしない
4、ファッション雑誌を読まない

……って、番号振ってみたけどこれって順不同だよな。
でまあ、その辺かなと思って考えてみたところ、はじめは大体「ものを買うこと」になってんだよな、ということに気がついたというか考えが落ち着いてたんだけど、なんというか「身体加工」と「技術習得」でもあるんだなということに気づいた。


で、一方で今まさに自分がそうであると思われる、というか物心ついたときからそうなんだから若さを理由にゴタクを投げつけられてもしょーがねんだよデコ助野郎!というハナシである「男を降りる」についても考えてみた。
とぉころがこれがわからないんだなぁ。*2
やっぱ最初から対象として観察できる女性の問題に比して、ある程度は確実に当事者であるところの男性の問題に対しては、どうしても一般化の視点が弱まって個人差の方に意識が向いてしまうことがその理由。
とすると、先の「女を降りる」についても女性の当事者視線で見れば、また当然に個人差のあることをしっかと指摘されるんだろうけど、その辺はえーと、最近アクティブな某女性はてなーにお任せします。
で、しかし男の方にも問題がある。
何かというと、「男を降りる」の問題に関しては、それこそ何かというと持ち出される例の殺され文句があることだ。
ハイこれ、つ「イケメンならなにやってもいいんだろ」 み た い な。 


汗臭くても、髪ボサボサでも、無精ヒゲでも、しまむらでも、「イケメン無罪」なんだろ み た い な 。


まあでも、それこそ個人差というヤツなので、あくまで努力義務として課されているようなものの削ぎ落としとして考えてみた。

1、筋肉を鍛えない
2、スポーツをしない
3、オシャレをしない

うーん、これなんて裏DQN三原則?
ひっくり返すと、まんまDQN三原則じゃないのよさ。


こうしてみると、男にしろ女にしろ、「男」「女」というものが全然まったくちっとも先天的な条件としてありのままに生きることを許されていないのだなあ。
だからって、その原理原則だけで生きようとする人を見てもまったく魅力を感じないんだけど、それはこの自分の頭がおかしいってことなのか。
多数派が正義の証だってンならそうなんだろうな。
でも、DQN女って実に美しくないよな。なんかオシャレ軸がジャージに偏ってるあたりが特に。
ま、それは好みの問題かも。
というか、「男」も「女」も「身体加工」と「技術習得」だって意味でまったく変わらんじゃないか。


女は女に生まれるのではない、女に育てられるのだ。
男は男に生まれるのではない、男に育てられるのだ。


――か。
実にベーシックな着地点だわ。

*1:コメント欄より

*2:山田康雄声で