【条件付】付け上がったっていいじゃない人間だもの

モノーキー 若いオタクが付け上がる理由
http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/6c5f0ea84933aa7aef2bcda70bc310a9


>▼若いオタクは自分たちが孤独でない事をすぐに知ってしまう。不安が無いと人はムダに増長する。


>つまり、オタクたちが「お前は学校や会社じゃマイノリティだけど、オタクの社交場に来たらいっぱいオタクがいるぜ」って宣伝したせいで
 マイノリティからくる不安でドロップアウトするオタクがいなくなった。というべきなんだろうか。


「ネット社会の弊害」を説く団塊世代のような切り口だなとか思わなくもないこともない、と。


それはさておき。


「自分が偏った人間だという自覚」を持ちながら、それを環境圧力=社会的差別によって押しつぶされ、あるいは自ら押しつぶし、一気にストレスを抱えて溜め込んで自らの興味関心を矯正していく。
それまたそれで、どこかの誰かさん好みの「適応」なのだろうけど、どうせなら不必要に過剰なストレスを溜め込むことを自明視、当然視、諦観しないで済む方が、健康的なのではないかと思った。


とはいえもちろん、一人で精神を増長させる事が、いいとは思わない。
それよりも、自分が属するのが少数派ではなくある程度の量がいることを知ったのなら、その偏ったグループの中で自分の主観をアピールしてみて、偏ったもの同士の間という留保付きのコミュニケーションギャップなりコミュニケーションストレスなりを、体感し経験し蓄積して分析、解析してていくことができれば、それが一番いいのではないか。
「違うもの同士」の中でさえ、差異のあることを身をもって知れば、「同じもの同士」であることを強制する空間での身の振り方の参考に、多少なりともなるのではないのかと。


まあ、オフ会なんかの場合は、「いきなり見ず知らずの人間と会う」という行為の底に拭いがたく存在する重大な身の危険という問題というのもあるわけで、人の世の穢れを知らないお年頃にはお勧めできない。