ヤンデレ萌えは対象愛じゃなくて自己愛じゃないのか

またひとつ知らなくていいことを知ってしまったumetenです。


――「ヤンデレ


何回読んでも、「ヤンキー」が「デレデレ」の略にしか見えず、それって「ツンデレ」とどう違うんだよ!と憤りを感じるのですが、実は「病んでる」→「病んデレ」→「ヤンデレ」ということで、精神的に破綻したヒロインに対する哀悼の意=愛好の意を示す言葉らしいのです。


で、その紹介がこれ。

たまごまごごはん - ヤンデレを好きになるわけを考えてみる。
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070324/1174676414


でも、これ読んで、「ヤンデレ萌えって自己愛の一種なんじゃないの?」と思ったんですが、どうでしょうか。
キャラ愛の鍵になるのが「狂気の発露」というところが、その理由。


「狂気」、いわば「精神的な暴走」というのは、究極の自己中心的な行動なわけで、それが殺人なんて方向に行ったならもうそれこそ一番わかりやすく「他者否定のための代理処罰」をしていることになる。


その他者否定をヤンデレに感情移入している(萌えている)読者に代わってヤンデレキャラクターが肩代わりするということで、とどのつまり暴走しているのは「個々の読者の精神」なのではないかと思うわけです。


そして、その病んだキャラが「愛される」がゆえに、「ヤンデレ」萌えとはキャラに仮託された自己愛の発露だといえるのではないか、と考えたわけですが、エロゲはやらないので現場に即した発言はできませんでした。


あしからず。