人間が知覚できるのはその人の人格の一部だけ

ARTIFACT@ハテナ系 - ネットに出ているのはその人の人格の一部だけ
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070415/character


これは、その通りなんだけど、「ネットに書かれていることは人格の一部だけ。それだけで人間を判断するな!なんて言いながら相手の人格を否定している人がいる」という人が、「ネットの発言」だけは特権視していることがよくある。


ネット上に限らず、また文字に限らず、言葉というものには越えがたい記述不可能性があり、表現するということは表現しないということと表裏一体なのである。
にもかかわらず、「ネットの発言」だけがこうも特権視されやすいということは、いかにネットが文字によって構成されているかということ証明する材料にこそなれ、その特権視が認められる理由にはならない。


そして、条件付ながらも万人に対して公平=同じ条件に開かれている文字情報=言葉に対して、顔や表情や姿形や立ち居振る舞いなどという、万人に対して千差万別=全く異なる条件で開かれている「情報」が、その人の「人格」のすべてを余すところなく表現しているなどと、到底ありえる話ではない。


「現実にその人を一目見たなら、それだけでその人柄のすべてがわかる」などというのは、自らの視覚至上主義という主観的信仰を告白しているに過ぎない。


殺人犯は家族を愛さないのか?
犯罪者はペットを飼わない?
オタクには恋人がいない?
健全で健康で健常な人間がある日突然想像もできない残忍な犯行を犯すなんてことはない?


だが、この世は「疑うところを知る」ではなく「信じるところを知る」によって成り立っている。


だから、あなた自身がそう思うなら、たぶん間違ってはいないと思うので、あえて何も言いますまい。*1

*1:えっけんメソッド