松岡利勝に学ぶ失敗学

「九州のムネオ」こと現職の農林水産大臣松岡利勝が自殺されました。
数々の疑惑、利権の闇、腐敗した政治構造をひとかけらだに明らかにすることなく、ハッキリ言って逃げやがられました。
またひとつ日本が「美しい国」になった瞬間だったともいえるでしょう。
朝日新聞紙面によれば、議員就任一期目からはやくも不正献金疑惑にまみれていたという華麗な経歴を誇っていた松岡利勝大臣。
しかし、自民党議員ならば愛してやまないであろう「こくたい」*1のために死んだということで、本人もある意味本望だったのではないでしょうか。


老害がみじめたらしく自殺するというのは実に清々しく歓喜に耐えないことです。
が、しかし、若者に範を示すべき老人がかくも卑怯で、姑息で、愚劣な行為に軽々と及び続けるというこの事態そのものは、決して褒められたものではありません。
なにより、これで来るべき未来が奪われてしまったのですから。
自殺者の未来ではなく、我々有権者が得るべき疑惑を晴らし、利権を暴き、腐敗した政治を正すという未来が。


現職の大臣がかくもみじめたらしく自殺するというまさにかがやかしいほどの大失敗。
後に残された我々は、この歴史的な大失敗を失敗学として活かさないわけにはいかないでしょう。


畑村洋太郎『失敗学を生かす仕事術』*2によれば、

p184
たしかに失敗は個人のミスで発生する場合がほとんどですが、その根本的な原因を探ってみると、(略)システムそのものの欠陥など失敗当事者以外に本質的な問題があるケースも数多くあります。

とあります。
議員一年目からの華麗な疑惑の経歴を誇る松岡利勝大臣でしたが、そのとても差し引けない個人の資質をさておいても、そこにはやはり政官財の無限連鎖的な汚職・癒着の構造があったことは明白です。


そして、

p184
そのようなときでさえ、個人の責任追及に走りがちなのが日本的問題解決の特徴ですが、このような対処法では失敗を糧に成長することなどできません。

という指摘は、まさに今回のケースに当てはまるものでしょう。
なにせ、この疑惑に関連してここ一週間の間に連続して3人もの人間が自殺しているのですから。

一人目が<松岡利勝大臣の「私設秘書」を自認していた地元事務所関係者の社長
二人目が<松岡利勝大臣>
三人目が<官製談合システムを発案した緑資源機構の「陰のドン」


もちろん、これらの三人にはそれぞれ個人の責任を追及されるべき然るべき証拠があったわけです。
「日本的問題解決」に問題があるというのは、なにも三人の自殺者に対して妙な温情を垂れるつもりではなく、生きて疑惑と汚職と利権の闇の全貌をこそ明らかにするべきだった、ということです。
「死んでお詫びを」などという行動は、その「思い」とは逆に、日本の政治に潜む歴史的、構造的な問題を個人犯罪のレベルに貶めて、「木を見て森を見なかったことにする」という姑息な意図に基づくものです。
たとえ、その意図が人柱か人身御供的な「崇高」なものだったとしても、それは自らのプライドを守ろうとした利己的な行動に発したもの過ぎず、結果的に数々の疑惑、利権の闇、腐敗した政治構造をすべて個人の問題として闇に葬ったことに違いはありません。
彼ら身勝手な自殺者のちっぽけなプライドのために、日本の政治が、日本の国全体が、「美しい国」として成長する機会を丸々奪われてしまったというわけです。


ならばやはり、死者は鞭打たれるべきなのです。

p198
失敗はたしかにいいイメージではなく、可能な限り隠される傾向にあるというのはこれまで再三述べてきたとおりです。それは組織が失敗を扱うときも同じで、本来オープンにしなければならないものまで隠され、失敗の被害が拡大してしまうことは少なくありません。

ここにいわれる最悪のケースに我々は今直面しているのです。
自殺などは、まさに失敗隠しの最悪のケースにほかなりません。
闇で肥やした黒い私腹を、そっくりそのままため込んだまま、まるまる息子に相続させて、それを元手に「弔い合戦」、なんてことをば気取られた日にゃあ、靖国で万歳三唱ものではありませんか。


とはいえ、こうまでキーマンに勝手に自殺されてしまうと、「本人の思い」とはまさに裏腹に、数々の疑惑、利権の闇、腐敗した政治構造が「すべて温存される」ことは、残念ですが現実です。
だとすれば、真相解明の機会が奪われたなら、闇に葬られた疑惑の解明が追えないのなら、後にまだ残った部分について、徹底的にその失敗のあり方を学んでいくしかありません。


まずは、松岡大臣の『「国民の皆様」宛ての遺書』から見ていきましょう。

◇国民の皆様 後援会の皆様
 私自身の不明、不徳の為(ため)、お騒がせ致しましたこと、ご迷惑をおかけ致しましたこと、衷心からお詫(わ)び申し上げます。
 自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせていただきます。
 なにとぞお許し下さいませ。
 残された者達には、皆様方のお情けを賜りますようお願い申し上げます。
 安倍総理 日本国万歳
 平成19年5月28日 松岡利勝



Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <松岡農相自殺>遺書8通残す 「国民の皆様」宛てなど判明
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070529-00000046-mai-soci


一読してこれは最悪です。
最悪の上に最悪を重ねたような何の意味もない一片のカケラの内容すらない文章だといわざるを得ません。
「不明」とはいったいなんなのかがそもそも不明です。
「不徳」とはいったいなにが欠けていたというのでしょうか。
「騒がせた」「迷惑をかけた」などと具体的な言及が何ひとつなされいままに、「お詫びに代えて」といわれても、こちらとしては一国の大臣が一体何のためにわざわざ死なれたのかまったく理解できないものとなっています。
そして、そのこちらがわけもわからないうちに「お許し下さい」です。
徹頭徹尾意味不明、無味乾燥で無内容な遺書とはこのことです。
今後自殺する大臣は、せめてこの遺書以上の内容を書き残すことを、国民に誓うべきでしょう。


また、安倍総理大臣に宛てられた遺書にも、今回の疑惑に関する釈明は一切無かったといいます。
これも最低の上に最低を重ねたものと断じて良いでしょう。
どうせ死ぬのですから、せめて遺書ででもすべてを明らかにするというのが本筋でしょう。
それをこうまで隠し通す、嘘をつき通すと言うのであれば、そもそもいったいなにを目的として自殺したのでしょうか?
これは最悪最低の形で国民を愚弄するものです。
洗いざらい暴露する心積もりくらいするのが責任ある政治家というものでしょう。


さらに、問題なのは安倍総理大臣です。
「慙愧に耐えない」と自分の政権運営の失敗を認める本音を漏らしたところまでは良かったものの、「捜査の手が及んでいない」ことを「故人の名誉」と表現するというのは、一体どういう神経をしているのでしょうか?
今回の件は、汚職疑惑にハナからまみれたドス黒い地方族議員が、総理の子飼いになった見返りに大臣に任ぜられてさらに私腹を肥やし続け、挙句の果てに疑惑にまみれたそのままで現職の大臣が自殺するなんていうことをしでかされた、「国民の不名誉」です。
それをこうまで軽んじて恥じないこのボンボンバカボンのオツムの出来は、シワひとつないツルツルの「美しさ」を誇っているとでもいうのでしょうか。


どうしようもないものはほっておくとしても、さらに問題なのは、松岡大臣が自殺したその場所です。
よりにもよって、例の3LDKで9万2000円の格安の賃料でホテル並みの豪華さを誇っていた最新の議員宿舎が、今回の自殺の舞台となり、出来て早々「いわく付きの物件」になったというわけです。
これについては、当該「赤坂議員宿舎1102号室」を、自民党農水族が責任をもって地方利権陳情団対策本部兼応接室として有効に活用するしかないでしょう。
あるいは、国会対策本部にしてもいいかもしれません。


かくも困難な失敗学の課題が残されたものです。やれやれ。

*1:「国対」=国会対策

*2:講談社現代新書1596