赤木氏の「戦争」論から語られる「希望」――あるいは絶望

「赤木」に回答 - シートン俗物記
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20071121/1195633630

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上記記事の内容に、それへのコメント、ブクマコメントを含めて読んで。


正直なところ、赤木氏の文章を読んで、あれが「賢いもの」だとは思えなかった。
絶望を抱えて破滅を望んだ挙句に国家に欲情するという倒錯した結末には、正直「バカ」だと思った。


ありていにありのままに単純に感想を抱くなら、やはりこうなるだろう。

<「赤木」に回答 - シートン俗物記 コメント欄>
aaa
つまり赤木のバカは教育問題の原因を日教組とほざいているバカウヨマスコミやバカウヨ文化人とかわらないってことですね。
赤木は釣り目的でいっていればいいのですが、そうでなければただのバカですよね。


あるいは、こういったものにもなろうか。

<「赤木」に回答 - シートン俗物記 コメント欄>
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真摯な回答ありがとうございます。
確かに彼らの置かれている状況は改善されるべきなのですが、赤木氏の文章を読む限り、本気で貧困や格差の解決を図ろうと考えているとは思えません。シートンさんも触れている通り、先の戦争で徴兵された人々の社会的・経済的状況がどのようなものであったかを理解しているならば、間違っても戦争が格差解決の手段なんて寝言を言える筈もないのですから。極端な物言いをするならば、彼は同類であったはずの「下流層」を踏み台にして物書きになろうとしているんじゃないでしょうか。


とはいえ、バカはバカだとしても彼は既に「単著のあるバカ」であり、あながちバカにできないからこそ、こうして幾多の意見が出ているのではないのか。
そして、
「本気で貧困や格差の解決を図ろうと考えているとは思え」ない、という点で、その意味で、彼がバカに見えるのは仕方のないことにも思える。
しかし、
そうであるならば、赤木氏を「バカ」と批判した人間がそこで思考をとどめることこそ、同じく「バカ」と呼ばれてしかるべき態度ではないのか。


実際問題――赤木氏がそこまで考えていたようには思えないのだが――、彼の文章を「まともに読める」人間からすれば、そから汲み取れるメッセージはただひとつ。
――「左翼再生」だ。


地道で着実で誠実な行動の積み重ねとしての左翼の「発見」。


だとすれば、一見して穴だらけのメッセージは、「その穴をふさがなければならない」という真のメッセージを汲み上げる井戸の滑車のような装置として十分に機能しているといえるのではないだろうか。


そう考えれば、論座での反論で「戦争になれば真っ先に殺されるのはお前のような弱者だ」と言った森達也やそれに類する威勢のいいタンカを切った連中こそがバカだったということになる。


「戦争」という目くらましの言葉に踊らされた人間が自らのステレオタイプしか引き出せなかった時点で、丸山眞男的なものを「ひっぱたく」ことは達成されていたのだ。


「テロ」が「犯罪の最上級」という意味で使われるようになった現在、赤木の使う「戦争」という言葉の用法は何一つ間違ったものではない。






「戦争」とは「災害の最上級」なのだ。






そして、それはやはり同時に「希望」なのだ。






「戦争」=「災害の最上級」とは、社会とのつながりを立たれた人間が、誰がどこのどんなどれだけの何様であろうと同じレベルでつながりを「回復」することのできる機会を獲得するための「希望」なのだ。






それは、政府・マスコミの「お墨付き」である「ボランティアで地域の回復を」という考え方と、寸分の狂いもなく同じものである。
それはなんら、お上に刃向かうものでも、逆らうものでもない。


だがこの「お墨付き」が、同時に悪しき問題を生む根源ともなっている。
「ひきこもりやフリーターなどは自衛隊に入れれば直る」という無知蒙昧かつ差別偏見に満ちた死に損ないの老害が垂れ流す妄言は、そこから派生している。


「社会との垣根のないつながりの回復」という「災害」がもたらす地平を「美しい」までに見過ごして、「集団に適応するためには集団に入れ」というのがその内容だ。


だが、「正しい心の獲得のために閉鎖的な文化・習慣に基づく集団生活を!」というなら、それはなんら企業と変わりがない。
そして、集団生活をすれば精神が矯正されるというなら、企業が普通に採用をすればよかっただけの話ではないか――






このあまりに単純な因果に対する社会的な盲目。






そこにあるのは、盲目である。
赤木氏が「希望」=「戦争」を語るのは、その盲目を、その問題を「発見」したことを声を上げて周囲に伝えているのだ。


だが、「それすらもわかりきった地平」に立ったとき――
社会が、世間が、他人が、何に目を開くことを「希望」するべくもないまでに盲目であることをそもそもの前提としたとき――






人は「沈黙」するしかない。
私は「沈黙」するよりほかの術を持たない。
その盲目を我が物として、それがもたらす、それ自身がもたらす破壊に、あるがままにありのままに耳を澄ますほかない。


それ自身がそれ自身に対してもたらす破壊。
その悲鳴に「沈黙」とともに聞き入ること。


「沈黙」せよ。「沈黙」は力だ。破壊の力だ。


それは「犯罪の最上級」としての「テロ活動」を示しているのではない。
否、むしろサイレントテロこそが、この国の、この社会の盲目を体現するものであることを言ったものだ。


「沈黙」の内に進められる致命的で根本的な破壊。
それはすでに「殺された」各々一個人のちっぽけな意思をよ寄り合わせて、「怪物」を作り出そうなどというものではない。
すでに目の前に息づいている「怪物」に、何もかも捨て去って同化してしまえということだ。




そう、何もかも捨て去って。




「赤木には絶望が足りていない」といったのはそのことだ。








それでも「戦争」を「希望」するというなら、


数ヵ月後を予兆させる南海沖大地震を寝ながら待っていればいいだけの話だ。
大阪では4万を超える死者が出るというそうじゃないか――



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