この世で一番悪質なのは単純な「結果論」

ではあるが、相手に期待などする方が、希望など抱くほうが間違っているのだから、黙って聞き流しておけばいい、というのが「美しい」作法だ。


全体としては、新旧二分して暗に優劣を潜ませなければおもしろかったのにな、という感想。


「結果」から「理由」を導くことしかできなければ、その「結果論」を共有できるのは、そもそも「結果」を共有しているものだけに限られるという話ではないのかと。


互いが互いに互いのプロセスをすっ飛ばしてコミュニケーション(笑)してみたところで、それはなんらそれぞれの「結果」を左右しない。


「自分の経験の枠組みは自分で変えられるか?」だって?


そんなことを考える奴は、自分以外の他人の存在が見えてないだけのあほうだ。


その答えは、「自分の経験の枠組みは他人だけが変えられる」というものだ。


善因善果、悪因悪果は、「自己責任」とイコールではない。

自分の経験の枠組みは自分で変えられるか? - アンカテ(Uncategorizable Blog)
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