翻訳、あるいは編集とはいかなるものかという実例


まあ、試訳が直訳に過ぎるのかもしれないが、この前の「新聞投稿欄での編集騒ぎ」を思い出した。

なぜ日本は失敗し続けるのか - 池田信夫 blog
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/7cc6f9c4437bd47c577b35b8cedb229a


The world economy | Japain | Economist.com
http://www.economist.com/opinion/displaystory.cfm?story_id=10729998

<最終段落の池田氏訳>


次の総選挙でどちらが勝っても、絶対多数を得ることはできず、政界の混沌は深まると解説する向きも多い。しかし今のように何となく安定したまま没落してゆくより、混沌が表面化したほうがましだ。

<試訳>


多くの政治家が、総選挙は混乱を引き起こすだけだと言う。しかし、それは肥大し破たんしたシステムの中にいる政治達のための議論だ。有権者はそれを正し始めるためのチャンスを必要としている。選択が「混乱」であるなら、それをやるべきなのだ。


特に、池田氏訳の「絶対多数を得ることはできず」だの「今のように何となく安定したまま没落してゆくより」という部分は、ややシドニー・シェルダンばりの超訳にもみえるのだが、これも「論旨を明確にするため」という「配慮」なのであろう。


それを、読み手が「親切」と受け取るか、「捏造」と受け取るかは別にして。