「無差別」に回帰する「自己責任」
金で解決できる問題すら放り投げ、無かった事にしてきた結果がこれだ。
「殺せば刑務所に行ける」18歳少年、また身勝手な凶行 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080326-OYT1T00429.htm
極めて明確で簡単なメッセージがそこにある。
少年は何を求めていたのか。
自らの死か?否。
他人の死か?否。
「人を殺してみたかった」のか?否。
「ヒーローになりたい」という願望か?否。
「殺せば刑務所に行ける」と少年は言った。
刑務所とは何か?
社会福祉施設である。
少年は何を求めていたのか?
社会的福祉制度である。
少年の行動とは何か?
○○すれば享受可能な制度を引き出したのである。
彼は犯罪を犯すことで社会福祉制度を引き出したのである。
彼は犯罪を犯さなければ得ることのできない社会福祉制度を引き出したのである。
彼が本来求めていたものとは何か?
金である。
学費である。
奨学金である。
「美しい国」を掲げる陰でめくら打ちに削減が決定された奨学金制度である。
これを日本国民の「自己責任」といわずしてなんというのか。
金で解決できる問題すら放り投げ、無かった事にしてきた結果がこれだ。
死んだのが公務員でまだよかった、とでも言うつもりか。
<参考>
My Science Lessons 〜理科教師の本音〜: 奨学金削減の文科省と学費免除の東京大学
http://weed.cocolog-nifty.com/science/2007/10/post_ca91.html
◆公立中学校
ちなみに現場の教師として言わせていただくと、才能を開花できずに卒業していく中学生は多い。個人的な実感では、40人のクラスに特殊な才能を持った生徒が2人はいるものだ。そういう生徒の才能を教員が開花させることができないのはなぜか。
忙しいからだ。
問題生徒の対応はまったなしである。事務仕事も多い。最近は問題保護者なんてのもいる。
中学校現場(いや、教育委員会も文科省も)の問題の中心にあるのは、人手不足だ。