永久戦闘実験室のコンバットモルモット、赤木智弘

東京新聞:反発と絶望 極論生む フリーター『戦争を希望』:社会(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008050302008486.html


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「呼び掛ければ、分かってくれるはず」


この発想から抜けられない限り、やはり赤木氏には絶望が足りていないとしか言いようがない。


しかも、「社会体制に変化を」という「呼びかけ」=「運動」は、当の本人が『m9』で否定していたものなのではないのか。


さざ波を起こした一石も、既に体のいい「バンザイアタックショー」として消費されている感がある。


所詮、「戦争」というものが、法の体系内の産物でしかないことがその原因だ。


物事に変化を望むとき、それが内部から可能だなどと思うが誤りなのだ。


コンバットモルモットがコンバットモルモットの相手に勝利しても、また新しいコンバットモルモットが連れてこられるだけだ。


番場蛮がいくら「打倒巨人」を目指しても、巨人のエースである限り、活躍すればするほど巨人に栄光を与えてしまうのと同じことだ。


「内部から自民党を変えていきたい」などと抜かす人間が、「小泉改革」を「美しい国」を「他人事政治」を支えてきたのと同じことだ。


ライフハックで「自己啓発」する人間が、奴隷労働にいそしむのと同じことだ。


物事を変化させるのは、常に外部の異質性だ。


明治維新を「起こした」のは日本人か?今の日本国を「作った」のは日本人か?


それらの変化が、外部からもたらされたという否定できない事実。


「戦争」という名で語られているものが、「外部への気づき」だということはわかる。


だが、その「降臨」を待ち望んでいる限り、それはメシア思想でしかない。


いくら「戦争」を唱えようが、絶望から目を背けている限り、内部に止まり続けるしかない。


祈ろうが、呼びかけようが、誰も降りては来ないのだ。



永久戦闘実験室のコンバットモルモットとは


銀河鉄道999 (7) (ビッグコミックスゴールド)

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銀河鉄道999 第47〜48話 第47話 永久戦斗実験室(前編)(後編)
http://galaxyrailway.com/ge999/station/999station/tv999/047-048.html