グロテスクな「希望は戦争」

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ISBN:4250202305 の書評、「希望」の左翼主義?/その「希望」が結局、他国での戦争の上にあぐらをかいた経済的繁栄だったからこそ、今の絶望に左翼が対応できていないのでは、と。


上のように書いたあとで、なぜ、赤木氏の論が「戦争による不利益の分配」を主張しながら、結論が「国家への愛情」を示すものになっているのかについて、ようやく理解できた気がした。
「希望は戦争」論とは、比喩的、あるいは象徴的にではなく、もっとベタに読まれるべきものだったということだ。


つまり、そこにおいて批判される左翼的希望論とは、朝鮮戦争を皮切りに、ベトナム戦争、その他アフガニスタンなど第三国での戦争特需がベースとなって築かれていた高度経済成長、すなわち、他国での戦争の上にあぐらをかいた経済的繁栄をベースにした「空気」だったということ。
そして、「希望は戦争」論とは、文字通りの戦争が起きることによる副次的な経済的成長を待望し、それによる国家からの利益分配を希望するという回路を通じて、右翼的愛国主義に通じているものなのではないか。


そのような「希望を分配する原動力」としての戦争を待望するという、まさにラディカルな左翼的欺瞞を抱えた主張なのではないか。
一言でいえば、戦争特需=「不可視」の戦争による特需を希望する左翼ナショナリズム


「希望は戦争」論は、体感的表現としての「戦争」観ではなく、文字通りの戦争による利益分配への要求として読んでこそ、はじめて愛国主義へとつながるのだ。




オレは日本に感謝している。ナショナリストにならなければ戦争被害者になっていたから……グロテスク