「外国人」が映し出す日本人の血族信仰

中央公論新社
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『m9』もとうに店頭から取り次ぎに返却され、今頃は裁断処分されているだろうことを思いながら、「それなりにおもしろい記事もある」というオレ的定位置を占めている『中央公論2008年6月号』を立ち読みしていたところ、ちょっとおもしろい記事が載っていた。
既に語り尽くされた感もあるように思えたテーマなのに、妙におもしろかった。


それが、鄭大均「なぜ帰化は在日のタブーとなったのか」だ。


すでに「良心的日本人」ではなくなって久しい自分だが、この記事は改めて在日韓国・朝鮮人という問題が「自分が関心を持つべき問題」だということを気づかせてくれたように思う。
もちろん、真っ赤なギターが焼けてなくなった今になって良心回路を作り直そうとしても無駄なことなのだが、それはさておき。*1


既に旧聞に属するような、「帰化」への道が朝鮮総連による「裏切り行為」だとのイデオロギー操作によって絶たれてきた、という歴史的指摘がなされる中、目にとまったのは、次のような「在日の心情」のまとめだった。

・韓国・朝鮮国籍を持ちながら、本国への帰属心に欠けている。
・外国籍を持ちながら、外国人意識にも欠けている。


論者はその「二重の帰属のズレ」を指摘し、その上で、この状態での外国人参政権の付与は逆説的な形で「日本人の血族信仰」を保存するものではないのかと、論じていた。
世襲の日本人による均質化」という表現で語られたそのロジックは、つまり、大陸国家のような「○○系△△人」というものがほとんど見られないという民族的流動性が欠けたままの日本において、先のようなあいまいな自己認識しかもたない在日韓国・朝鮮人をも一律に「外国人」というカテゴリーへ制度的に追いやることは、日本人の境界を強化するだけになるのではないか、ということである。


この視点に立ったとき、2ch的な常識として語られる「外国人参政権の付与を主張する民主党売国政党だ」という主張は180度方向を変え、「民主党こそが真の愛国政党だ」ということになってくる。
すなわち、「血族集団としての日本人」という信仰を「守る」ための政策を掲げる政党として。
もちろん、そんなことはみじんも考えずあくまで「良心的日本人の良心回路」に従っているまでのことだとは思うのだが。


結論としては、論者はそのような「純血の日本人」というものに異論を表明し、「韓国・朝鮮系日本人」として、「移民」として在日韓国・朝鮮人帰化していくことを説いている。
そして、その最大の障害が先にも言った「帰化=裏切り論」なわけであるが、それも総連の弱体化に伴いなし崩し的に弱まっていくのだろう。
個人的には、「帰化」に関してはわだかまりはあるだろうが現実的、功利的に考えればやむを得ない選択ではないかと思うし、また「外国人参政権」については、朝鮮半島が統一してからでも遅くはないように考えている。
こう考えるあたりが「良心回路」が壊れている証拠であろう。


ちなみに、鄭大均という人がどんな人かというと、「鄭大均 - Wikipedia」を見るに、「つくる会」の八木秀次と組んで「日本教育再生機構 - Wikipedia」を設立したりしてる時点で、相当変な在日の人だと思うのだが、、、、


ああ、そうか、帰化したから「模範的日本人」であろうとしてる訳かな。
でも、それってなんだか「悪魔回路」に見えるんだけどなぁ……*2

*1:石森ファン以外の人はこの行を読み飛ばしてください

*2:参考:ハカイダーを語る/http://www001.upp.so-net.ne.jp/heian/kumo/hakaider/hakaider2.html