「殺人事件」というエンターテイメントにマスコミはもはや不要か

秋葉原通り魔:容疑者の逮捕・連行を携帯で撮影 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080609k0000m040022000c.html


 今回の通り魔事件では、容疑者の逮捕・連行写真を携帯電話で撮影した人の周りに人だかりができ、自分の携帯に赤外線送受信でコピーする人たちが目立った。
 目撃情報を集めていた記者は、通行人の女性から赤外線受信で写真を入手。この女性も、逮捕現場にいた別の女性から赤外線受信でコピーしていた。2人は他人同士だった。
 女性によると、現場で直接写真を撮影した男性が「捕まったぞ」と叫ぶと、周囲には携帯電話を差し出し、「コピー」を求める人だかりができたという。【神澤龍二


こうして「事件」に参加することができるのなら、いちいちマスコミ報道を通さなくても、待たなくても良いわけだ。
もちろん、現場に居合わせるという「特権」があってこそだが。
このような「関心」の持ち方を違和感なく消費できるのは、その人間が「幸せ」な証拠、か。
「パン」に事欠かない者のための「サーカス」も、随分コンパクトになったものだ。



それとも、これが忘却のための作法なのか。



数ヶ月に一度、数人程度が死ぬくらいなら、という効率的な社会を維持するための暴力的忘却、その最後の作法か。