秋葉原無差別殺傷事件への鎌田慧コメントほか

京都新聞 2008年6月10日付 朝刊3面より>

永山元死刑囚の事件を想起 ルポライター 鎌田慧さん


秋葉原の無差別殺傷事件で逮捕された加藤智大容疑者の生い立ちや生活環境を伝え聞き、一九六八年に十九才で連続射殺事件を起こした永山則夫元死刑囚(一九九七年刑執行)を想起した。
永山元死刑囚は極貧の環境で育ち、青森の中学を出て集団就職で上京した。加藤容疑者はわたしと同じ青森出身で、地元の名門高校を出たが派遣労働という底辺で働いてきた。永山事件の時代には、それでも若者は上京して生活を向上させるという夢があった。しかし時代はもっと悪化し、夢も希望も見いだせない若者の下層化が深刻な問題になっている。
加藤容疑者は自動車工場に派遣されていたという。わたしが自動車工場で季節工として働き、ルポタージュを書いた一九七〇年代でさえ寮や光熱費は無料だったが、派遣は季節工よりも労働条件が劣悪だ。必要なときにしか雇われない。そして食うのが精一杯の不安定な生活を強いられる。収入が減ると家賃も払えない。追い立てられるような切迫感、どうにもならない焦燥感があったのではないか。
自動車製造は塗装工程ではロボット化が進んだが、加藤容疑者が担当していたという検査工程は集中力を要する仕事で、精神的に疲れていた可能性も考えられる。自動車工場における「人間疎外」の実態は、わたしがいた当時とあまり変わらない。派遣労働者へのケアはさらに少なく、工場の同僚と酒を飲む憂さ晴らしさえできない。
犯行現場の秋葉原はIT産業の中心地で、加藤容疑者には羨望と反感があったと思う。秋葉原の事件は、労働者を憂き目に遭わせてきた“つけ”ではないか。永山事件の時代は事件を社会問題として扱った。最近は事件をすべて個人の心の問題に帰結させる傾向があるが、社会構造を変えないと犯罪は起き続ける。
事件は労働者問題、格差問題を再考するよう、現代社会に突きつけられた警告と考えたい。

かまた・さとし
38年生まれ。中小企業で下請け、季節工などを経験、専門誌記者を経てフリー。労働現場の実態に詳しい。著書に「自動車絶望工場」「六ヶ所村の記録」。

背景受け止め動機の解明を
野田正彰関西学院大教授(精神病理学)の話


一九九〇年代終わりから自殺が増加したが、格差社会で暮らす男たちの絶望感、挫折感は自己への攻撃性に向かっていた。しかし攻撃性が徐々に「世界がなくなれ」という他者へ向かっている印象を受ける。社会は、事件を起こした加害者の動機を解明し、事件の背景を受け止めアクションを起こさねばならない。この姿勢が犯罪の予備軍に対し、犯行を思いとどまらせるメッセージとなる。格差を改善する社会づくりを進めないと、同じ事件は今後も起こりかねない。

他者に敵意の自棄的な凶行
評論家宮崎哲弥さんの話


何らかの挫折から立ち直ることができないと絶望した若者の自棄的な凶行か。もはや生きている意味がないとあきらめた者が他者に異常な敵意を向ける。秋葉原という場所は、世界的にも知られた派手な舞台ということだろう。ストレスに弱く悲観しやすい世代的な特性にも問題があるが、二十代半ばですでに再チャレンジの難しい社会になっていると若者に思い込ませるような希望の見えない社会構造が凶行の背景として考えられる。