オタキング2世・東浩紀/あるいは、「消費者」をプロデュース

よく考えたら東浩紀ってなんで「人気」なんだろうかと思った。
彼の考え方の本質的な部分は、それこそ「哲学とは哲学史であるという教養」を頭に入れてないとわからないレベルにしか咀嚼されていないし、持ち出されるタームにしても、かつての宮台真司のそれほど社会を切り取って見せているというわけでもなさそうに見えるのに。
結局、頭の良い人間が片手間にたしなんできたアニメなりマンガなりゲームなりをオモシロおかしく振り回して見せている=スペクタクルにしている、という部分に彼以外のみんな=頭の悪い人間が酔わされているだけなんじゃないか。
語られる内容ではなく、語りの方法にみんなごまかされているのではないか。あるいはそれを「喜んで」(ダマされて)いるのか。
まあ、さすがに秋葉原事件に「ゲーム的リアリズム」だとは言ってないけど、「動物化」と言っていた割には「秋葉原」に対する思い入れが強すぎるように思える。
読み込みが過剰だと言うべきか。
先のコメント欄で追記したものを引用する。

秋葉原無差別殺傷事件への東浩紀コメントについて - こころ世代のテンノーゲーム
http://d.hatena.ne.jp/umeten/20080613/p1#c1213370049

umeten 2008/06/14 00:14
取材した記者の所属がそうだったって話かもしれませんが、にしても東氏の文章もやはり奇妙です。


アキハバラの「無法地帯化」とアキバ系社会人をつないで「ついに起きたか」とかいうあたり、「アキハバラという文化」に対する不必要な肩入れが過ぎる印象を受けます。
あるいは、「アキハバラ文化(圏)」に対する思い入れが強すぎるというか。
ご自分は「動物化」とか言っておきながらなんなんだその情緒的な態度は、と。


「思い入れがなければアキハバラには近づかない」と言っているようにさえ見える当たりが特にオカシイ。
アキハバラに行ったことがある人間がアキバ系だ」とでもいうような、まるで「自衛隊が派遣された地域が非戦闘地域だ」という詭弁にも近しい過剰な思い入れ。
確か二回くらい行ったことがあるけど、正直買い物するなら地元と変わらない物しか売ってないわけで。
まあ、「歩行者天国を知らない人間はアキハバラの本当の価値を知らない」とか言われたらそれまでですが。


「正直どこだっていいけど、頭に思い浮かんだのがそこだった」ってだけの話でしょうに。
「近所のショッピングモールが云々」なんてのは「選ばなかった」のではなく、「頭になかった」だけ。
アキバに思い入れのある人間にはご愁傷様ですけど、基本的に今回は「運が悪かった」だけですから。


だが、その偶然性こそが、また見事に時代を切り取ったというわけでもあるのですが。


よりわかりやすい、東浩紀オタキング2世的な部分はというと、もちろん最近の「ゼロアカ道場」という活動で、初代オタキングオタキング1世たる岡田斗司夫が主に一次的な商品売買という物理的な消費を通じた「消費者」像をプロデュースしたのに対して、2世は批評という二次的、抽象的な形における「消費者」像をプロデュース=コンダクトしようとしているといえる。


う〜〜〜〜〜ん、これなんて東「動物」園?