さいきんの京都新聞の良記事

1、「くいだおれ太郎」について
なくなるまでは誰も気にされなかった「文化」。
なくなるという段になって、わっとひとがおしよせ、それでも誰も肝心の食堂について触れようとしない。
「食堂が存続する」ことについて考えた人間はいなかった。
「文化」というものが社会や生活からは完全に分離し、消費されるだけのものとなっているということか。


そんな感じ。


「文化」とは金で買う物と見つけたり 暮らしのなかにありてあらざる


2、「象徴天皇」について
正式な取り決めのないまま、平成天皇の個人的意欲によってのみ支えられてきた「公務」は肥大化し、限界に達している。
「公務」が「民の方に向かう」という「象徴行為」だった。
対する、皇太子は「公務」に対する意欲がそれほど高くはない。
その一方で、「妻を支える夫」という新しい「象徴的な行為」を人々にもたらしている。
「公務」と「日本統合の象徴」について、その現代的な意義を再考しなければ、早晩破綻するかもしれない。


そんな感じ。


しかしまあ、「夫と妻」のフレームは確かに美しいけど、「夫や妻である人間」までにしかとどかんわな。
つまり、もはや天皇をもってしても統合的な象徴などというものが、もはや為しえない寝言になっているということか。


いずれもうろおぼえ。
だってもう古紙回収に(以下ry