「ブログ論壇」はどこにあるのか?


そもそも、「論壇」というくくりでもってブログ界を見渡そうとすると、いきなりヤフーブログやらアメブロやらが大まかにパージされてしまうような感がある。
しかも、本質に即して厳密に言えば、別にHTML直打ちのサイト運営をしていても「論壇」に含まれることは可能だろうに、形式的な厳密さをもってすれば、それもまたあっさりパージされてしまう。
「ブログじゃないから」という理由で。


別の視点、「論壇プロレス」という揶揄表現から考えてみると、要するに有名キャラクター、ベビーフェイスとヒールというわかりやすい構図に当てはまるようなキャラクター性を持った人間がイメージされる。
ならば、それはキャラクター性というよりも「有名性」?――「固有名」的な存在としてあるわけで、そう考えると「ブログ論壇」というのは「アルファブロガー」と呼ばれる人々と一致するのだろうか?
だが、それもまた簡単に否定できる。ボーガスの主幹は芸人だし、梅田望夫は教祖だし、という理由で。
とすると、「自己完結性が高すぎるブログ/人間は、論壇には含まれない」という、否定形の定義をひとつ導くことができる。
なるほど。
また、その「自己完結性」を補足すると、トラックバックやコメントを受け付けないという形式的なものではなく、「記事の作成方針に他人の意図を自律的/他律的に介入させない」というものになるだろうか。――いや、これはちょっと微妙な定義か。
ネタにしろ教祖にしろなんらかの素材が必要なわけで、その意味では介入を受けてはいる。しかし、それをどのように加工するのか、加工して発表する段になって、ロジック・レトリックとして閉じてしまう、という点に、「自己完結性」があるということはできるか。
つまりは、「情報の受信時における介入ではなく、発信時/発信後における介入を許さない」のが「自己完結性」か。
先の否定的な定義は、「言いっぱなしのブログ/人間は、論壇に含まれない」、といいかえることができる。


また、はてなに限ってみると、「はてな村」というのが「はてな論壇」とイコールでつながっていると思われている節もあるが、どうもそれはしっくり来ない。
はてなに対して「論壇」、というとなにかどこか「炎上系はてな式」のようなイメージが思い浮かび、「じゃあウチは違うな」と思ってしまうのである。
これは自分の中の論壇というものに対する暗黙のネガティブなイメージから来ているのか。
それとも、はてなに対するネガティブなイメージなのか。
――というと、あたかも自分が「はてな村人」ではないかのような認識をしているように見えるが、実際の所、「村人である可能性もある」というくらいの認識である。
そこでまた、「はてな村」に視点を戻すと、先に言った否定的な定義――「自己完結性」のロジックによって「論壇ではない」と判断できるブロガーもたくさん含まれている。
とりあえず、「はてな村は、はてな論壇とイコールではない」という否定的な定義は導けるだろうか。


じゃあ、一体誰が「論壇」の「構成員」なのか?(まるで秘密結社のメンバーのようだ)
「ネット社会は半径ワンクリック」ということわざもあるように(今作りました)、決してブログ世界は「広大」ではない。
観測範囲内に相手がいなければ、その相手はそもそも存在しない、となってしまう。
ブログ論壇」とは「ネットワークをつうじてつながりあう論壇」というよりも、「網の目状に多数の穴を抱えた偏在的かつ限定的な論壇」というべきではないのか。
つまりは、「観測者を中心として広がる辺境クラスタ」ということか。
規模の大なるも小なるもすべては観測者次第。まったくもって量子力学的な事実であるといえるにゃあ。


結局、否定的な定義から発しても、観測者の裁量によって判断・認定が決定されるということになってしまった。
これでは「仮想敵」にもなり得ないのではないか。


それを補うのが、現実の「論壇」に参加している固有名を持った有名人、ということになるのだろうか。
そして、その神の目線から判断されてはじめて存在できるのが「ブログ論壇」だと。


なんとも、階級的なことよ。