もう「感謝」はいらない/「ありがとう」にサヨナラ

「ありがとう」という言葉をうまく口にすることができない。
うまく、というのは、まるで息継ぎをするかのようにタイミング良く潤滑油的に簡単に使いこなすということなのだけれど、それができない。


結局、自分が「ありがとう」という言葉を「感謝」の意味でとらえすぎているからではないかと思い当たった。
つまり、「ありがとう」とは「明確な利害関係を有する二者間において利益を得られたときに返す言葉」だとして固定化させすぎていることが、先に言ったような軽いニュアンスでの使用を邪魔しているのではないか。


これを「感謝」ではなく、「あり得ないこと」を表現する言葉だと思えばどうだろうか?


相手との距離が遠ければ遠いほど「ありがたい」。
あり得ないことが起こったことを表現して「ありがとう」。


感謝の言葉ではなく、「相手との距離の遠さ/関係の薄さ」を示す言葉としてとらえるべきなのではないだろうか。
そうすることで、むしろ逆に、気軽に使える言葉としてとりもどせるのではないか。


あるいは、すみませんという言葉も同じ。


まだ問題が終わっていない=「済みません」、ということではなく、視界が「澄みません」というような。
そういう「あなたとの間には永遠に晴れない深い霧が立ちこめている。完全に理解し合うことなど不可能だ」という意味の表現だととらえれば、
問題の原因と結果について冷静に考えること自体をも否定するような、相手の剣幕につきあいすぎて、すりつぶされてしまうということもなくなるのではないのか。


まあ、こちらの「すみません」に関しては、相手がそれを言わせたいときは「謝罪の言葉」ではなく、「非言語コミュニケーション的に金品を要求」している場合が多いので、そんなヤクザじみた相手には謝罪よりも相手の隙をうかがい、言質を取り、警察をちらつかせた居直りと脅しで逆襲するしかないのだが。