ブログ論壇の「発見」

ブログ論壇」はどこにあるのか? - こころ世代のテンノーゲーム
http://d.hatena.ne.jp/umeten/20080803/p1


ちょいと前、まだ頭が何とか低空であっても飛行していた頃、上のようなことを書いたのだが、まさかそのすぐ後になって自分が「発見」されるとは思ってもいなかった。
しかも、よりにもよって最悪のタイミングで。


最初に気づいたのはもちろんネット上のこれ(↓)で、その時は「WEBユーザー用販促広告ページ」くらいにしか思っていなかった。「最近の本は、こういう付録をつけないと売れないんだろうなあ」とかいう感じで。

文藝春秋|『ブログ論壇の誕生』 特別付録 佐々木俊尚が選んだ著名ブロガーリスト
http://www.bunshun.co.jp/blog_rondan/index.htm


冒頭の文章を読んでも「ああ、自己RSSの紹介ですね、わかります」くらいにしか思わず、買う気もないので忘れかけていた。
ところが、先日書店に行った折にふと思い出し、「せっかくだから」と立ち読みし見たところ、見事に立ちくらみに襲われることになった。


なんだこれは。
恥ずかしいブログタイトルと、いかんともしがたいIDのURLが、ほんの2行とはいえ、紙に印刷されて本に載っているではないか。
これには笑った。いや正確には、ひきつった。
背筋をふるわすあの何ともいえない代謝機能の不具合を思いおこさせられた。


結局、それでわかったことは、物事とはすべて運とタイミングでできているものであり、そのどちらが欠けても事はうまくいかないのだということだった。
この場合は、「発見」されるという運に出会いながら、そのタイミングが最悪だったことで、結果それが意味をなさなくなったということだ。


また、付け加えれば、今回の「発見」によって先の記事で書いた結論の正しさが証明された、ということでもある。

神の目線から判断されてはじめて存在できるのが「ブログ論壇」だと。


一読した限り『ブログ論壇の誕生』という本は、ブログを知らない人間に向けての紹介の機能が主であり、すでにブログ運営を続けているようなら読む必要のない本だと感じた。
だが、それでもこの本の「神の目線」という機能は、まぎれもなくブログ運営者を貫き、量の多寡はあれど、その「役」を固定するものとして働いている。


だが、この「神の目線」への異議を唱えるとすれば、やはりそれが観測者のせまい目線に「偶然に」選ばれた観測範囲に過ぎない、という点だろう。


そこで、再び先の記事を振り返ると、いきなり冒頭にその問題が現れている。

そもそも、「論壇」というくくりでもってブログ界を見渡そうとすると、いきなりヤフーブログやらアメブロやらが大まかにパージされてしまうような感がある。


佐々木俊尚氏はおそらく、はてなブックマークユーザーなのだろうが、「はてなブックマーク文化圏」とでも言うべきものの内に存在しなくても読むべき記事を書いているブログというのは必ずあるはずだ。
逆に考えると、「はてなブックマーク文化圏」に含まれないブログでは、ソーシャルブックマークという「半公共圏」を介さずに、ブログブーム初期のようにダイレクトにコメント欄を通じた直接の議論するというスタイルが「普通」なものとしてあるのではないか。


だとすれば、「はてなブックマーク文化圏」を典型とする議論というものが「観客」を必要とするのに対して、「コメント欄文化圏」では、それがあくまで当事者間の対話だとされ、あるいはそこに第三者がいても「読者」という身内的な立場に止まるようになっている、という機能的な側面が存在しているのではないだろうか。


こう考えると、ブログブーム初期においてコミュニケーションを促進するツールとして考えられていた「コメント欄」とは、理念的に想定されていたものに反して(?)、むしろ閉じた関係を形成することに適したツールとなってしまったといえるのではないだろうか。あるいは、トラックバックであっても、それが二者間で完結する機能である限り、まったく同じ事だろう。


対して、はてなブックマークを代表とするソーシャルブックマークを通じたコメント≒コミュニケーションというのは、コメントを交わし合うはずの二者間に否応なく第三者≒観客を差し挟み、コミュニケーションの展開をこじ開ける機能をはたしている。
そこにこそ、「はてなブックマーク文化圏」の狭さへの指摘を超える大きなアドバンテージがあるのだといえる。


少し見方を変えてみると、やはり現時点でこれ*1以上の機能をはたすツールはないのだということがわかるだろう。


たとえば、はてなブックマークが順位を争うフォーマットであったとして、そのボタンの前後に

はてなブックマークに参加しています、この記事になるほど思われた方はポチッと押してください!」

などという文句が書かれるようなものであったとしたら、はたして誰が「文化圏」を形成するまでの利用者になっただろうか。


私であったらもうそれだけで、[これはひどい][死ねばいいのに]のコンボである。


もちろん、これはどうみても機能していないかに見えるブログランキングを念頭に置いたパロディである。
ブログランキングの「失敗」とは、単純なわかりやすい目安としてのランキング=順位を争うことを目標にするようにデザイン=機能設計をすると、結果的にそれが無意味な序列化=固定化を生むものにしかならないということである。
はてなブックマークでは、おそらくそれを見越して……いや、かなりの高確率でただの天然ボケをかました結果として、瞬間最大風速的な集計機能だけを装備するようになったのだろう。
事実、はてなブックマークのトップページの表示は、たしかにブックマーク数が多いものが優先的に表示されるとはいえ、まったくもってランキング形式=序列化とは無関係な並びになっている。


普通に考えれば、こんな雑な設計はありえないだろう。
数値を集計し、それを何らかの基準に従って分類し、意味付け、価値付けするというのはデータベースというものの基本中の基本だ。
だが、はてなブックマークはデータベースではないのだ。
(だから、検索機能があんなグダグダなのも、すべて天然ボケがもたらした無自覚かつ不作為の合理性なのだ。*2
そして、むしろデータベースではないからこそ、ユーザーが半ば「自主的」にブログ運営者の独り言に「武力介入」し、戦争根絶という名目での炎上を繰り返すようなすばらしい(はた迷惑な)ツールにまでなり得たのである。


それを考えれば、「論壇」という観客なしには成立し得ない仮想空間を表現するために、「はてなブックマーク文化圏」を「選んだ」佐々木氏の判断は、現時点においてはもっとも適したものであったということになるだろう。


そして、今後の課題としては、いかにして「コメント欄文化圏」に埋没してしまっている有益な議論を発掘するか、またそのようなツールはいかにしてあり得るのか、を考えることであることは疑いない。






「俺ははてなブックマークに感謝している。はてなブックマークがなければブログランキングに参加していたから……グロテスク!」

*1:はてなブックマーク

*2:ハイ、せーの「嘘だっ!!」