要するに、「限界集落」とは人権問題である

誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか? - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20081001/1222869807


そんなことをふと思った。


そうなり得る可能性、偶然性、確率性について、社会の成員としてその立場・状況を想像する責任があるということなのではないだろうか。


これは自殺問題や貧困問題と通じる社会福祉的な問題であり、都市と地方の対立であるとか、衣食住の合理性・コスト性を論じるような問題ではないのだ。


他の記事で触れられていた都市計画的=開発主義的な「コンパクトシティ」概念との根本的な違いはそこにあるのだと思う。






しかし、この国は日本であり、「人権」などというそんな輸入された横文字の概念は「風土に合わない」とされ、当然、カケラほども顧みられることなく、そんな「国家経済の合理性に抵抗する非国民」が「自己責任」を取るべきだ、それで終わりだという、語るまでもないくだらない問題として「美しく」処理されるのだろう。


無駄だ。どうこう考えるだけ無駄だ。どうせこの国は日本なのだから。