東浩紀はいかにして「歴史修正主義」を擁護せしか〜現代思想の戦略と戦術〜

ヘイトスピーチへの法規制について - 児童小銃
http://d.hatena.ne.jp/rna/20081216/p1


東擁護者は「声に場所を与える」ってことで一体なにを考えてんの? - Apes! Not Monkeys! はてな別館
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081215/p1


バカの身振り - kom’s log
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20081216


自由を考える』でなんども出てくるモチーフなのだけれども、東の考え方に共感できる点として「匿名の自由」という概念がある。
これを東は「確率」と言い換え、大澤は「遇有性」と言い換える。
そしてまたあるいは、「弱い受動的な権利」とも。(本がどっかに埋もれてるのでうろおぼえ)



東の頭の中では、大まかな戦略的方向性として、「歴史修正主義」を弱者とみなすことで「確率」的な存在に対する配慮の態度を示そうとしているのではないだろうか?
まったく驚くべき事に、これは選択するべき戦術として恐ろしく倒錯しているのだが、あながち間違いではなく、しかも戦略としては極めて論理整合的なのである。



なぜこのような倒錯した戦術が選択されたかについて考えるに、「人権」という言葉=概念の賞味期限が――やや遠巻きにではあるが――関連しているように思われる。
近道をするために、これを「ジンケン」とカタカナで読んでみよう。
ジンケン派○○、ジンケン的○○、……
いかにも「左翼」的なイメージを思い浮かべることができたのではないだろうか。それもごく簡単に。



ここでまた話を一歩戻すと、本来、「確率」的存在や「遇有性」的存在として想定されるのは、「たまたま障害を持って生まれた人々」や「たまたま貧困に陥った人々」、「たまたま事故にあった人々」といったような、社会福祉の対象になるべき人々のハズである。
ところが、今やこれらの人々のことを思い浮かべようとすると、彼らの具体的・現実的な存在の前に「ジンケン」という看板を背負ったなにがしかの「主義主張」がイメージされてしまうのではないだろうか。
「人権」を、「人間の権利」を再考する、再構成するために持ち出されたハズの「確率」「遇有性」概念は、ここでまったく無意味な、否、自己否定的な方向転換をさせられることとなる。
「ジンケン」という「バイアスのかかったイメージ」を避けるために。
その極端な結果が、「ジンケン」の彼岸に対置される「歴史修正主義」の擁護なのである。



なぜこのような一見して理解不能な方向転換が「必要」なのか。
それは、東の思想的基盤となっている「現実肯定」的な態度によるところが大きい。
確かに、東の政治的本質はエリート主義なのではあるが、思想を構成する段になると、彼には否定しがたい存在としての「見下すべきバカ」が前景化するのである。
なぜか。エリートを自認し、エリートの社会を夢想したところで、現実・現在の世間において最大多数派として主導権を握っているのは「バカ」だからである。
それらをいないことにして、見なかったことにして思想を構成しても、それが何らの「社会的」価値を持たないことは言うまでもない。
この国の「社会学批評」は常に、その「現実肯定」という鉄則に縛られてきた。
「スキゾキッズ」の「逃走」、「まったり主義」の「ファインチューニング」、そして「動物」の「感覚」。
いずれも、「いまここ」の現実・現在を生きる大多数の人間を(とにかく)「肯定」するための言葉である。
そして、これが本末転倒を招く思想的陥穽の原因なのだ。



つまり、「バカ」を「抱きしめる」ために修得した思想的態度が自己肥大化して、思想的態度を「抱きしめる」ものとしての「バカ」を逆流させてしまったのである。
そのどうしようもない、いかんともしがたい症状が、「歴史修正主義」の擁護なのである。



なぜこんなことが起きるのか。
それはまた奇妙なことに、ある種の思想的誠実さからきているのである。
つまり、「バカ」にでもわかるように自らの思想(それも生成途中のもの)を伝えようとするには、「バカ」にとってもっともわかりやすい表現を取らなければならない、という誠実さである。
そして、ここに引っかかってくるのが、「ジンケン」という「バイアスのかかったイメージ」である。
大多数の「バカ」にとって、「人権」とはすなわち「ジンケン」であり、その単語を使うだけで、イメージさせるだけで拒絶反応を起こしてしまうような「使えない」ものだと見えたのだろう。
そこでこそ、その真逆のもの、「ジンケン」の彼岸としての「歴史修正主義」こそ、自らの思想を伝えるための「メディア」としてふさわしい、として「利用できる」と判断したのではないろうか。



「ジンケン」という「バイアスのかかったイメージ」があるために、「人権」という言葉・概念が「使えない」という現実。
それに端を発して、「社会」的、社会福祉的概念としての「人権」の再構築という戦略のための「確率」「遇有性」概念をストレートに伝えることができない状況が生まれる。
そこで、戦術として反「ジンケン」的「メディア」たる「歴史修正主義」を利用した。
東浩紀の思想的戦術を推察するに、そういうことなのではないだろうか。



ただ一点の致命傷は、その思想的パフォーマンスが東浩紀の思想的信頼性を貶めるには十分なものであったということだろうか。
「多数派を取るか、少数派を取るか」の二者択一のフレームに止まる限り、おそらくこれからもこれと同じ「自己否定的転換」を取ってしまう者は後を絶たないだろう。



ちなみに、少数派を取ったのが柄谷行人の『批評空間』一派であり、あるいは先日の『日本語が亡びるとき』に書かれた内容に賛同する人々である。