なぜ自殺者だけが「障害者」となるのか


芸能人や経営者や技術者や職人やオタクや“迷惑な人々”が「障害者」と呼ばれることはないのに。


なぜ、自殺者だけがその精神疾患を指摘され「治療」の対象とされるのだろうか。


結局、数の問題でしかないのか。


自殺者は多数派と比較して数が少ないからこそ「異常」であり、「治療」の対象になると言うのか。


数が少ないからこそ、「障害者」として「安全」のために隔離されるのか。


数が少ないからこそ、「安全」に差別の対象となるのか。


数が少ないからこそ、「多数派」の自我境界を脅かさない敵性カテゴリへと「分類」されるのか。




芸能人が、その身体的特徴や奇行を理由に「障害者」として治療の対象にならないのはなぜだろうか。


経営者が、その人間性の破綻を理由に「障害者」として治療の対象にならないのはなぜだろうか。


技術者が、その偏執狂的な性格を理由に「障害者」として治療の対象にならないのはなぜだろうか。


職人が、その権威主義的・破壊的・暴力的・衝動的な性格を理由に「障害者」として治療の対象にならないのはなぜだろうか。


オタクが、その対象への過剰な傾倒を理由に「障害者」として治療の対象にならないのはなぜだろうか。


“迷惑な人々”が、こっけいなレッテルを貼られた“おかしな人々”に留まり、「障害者」として治療の対象にならないのはなぜだろうか。





なぜ、自殺者だけがその精神疾患を指摘され「治療」の対象とされるのだろうか。


なぜ、その意志が尊重されることがないのだろうか。


なぜ、自殺者だけがその意志を剥奪され、「障害者」として「治療」の対象になるのだろうか。