ハイブロウな左翼としての梅田望夫

梅田望夫氏、今度は「日本にはオープンソースの動きは根付いていない」と発言してOSS開発者にキレられる - スラッシュドット・ジャパン
http://slashdot.jp/it/article.pl?sid=09/06/18/0730204


梅田望夫とはなんなのか」というコモンセンスが、一般認識と彼の自己認識との間で大きくずれているということが、何もかもの原因であることに思い至った。


梅田望夫の、<社会全体に及ぶ理想を語りつつも現実に突き当たり「残念だ」と頭を垂れる>という、その構図。


これはまさしく左翼青年の心理の典型的な例だと言えるのではないか。


おや、と思われるかもしれない。


しかし思えば、「日本のWebの残念さ」を語る時も、その核にあったのはアメリカのそれと比較した時のコミュニケーション様式の違いであって、「ネガティブ云々」はいわばわかりやすい例として挙げられただけだった。


また、『日本語が亡びるとき』を絶賛した時などでも、それが言語ナショナリズムへの支持であったと同時に、その根拠というのが、英語圏の思考様式、そして社会様式へのあこがれだということは透けて見えていた。


ついでに脱線めいたことを言えば、将棋が好きだという点は、その将棋連盟の会長を男尊女卑で全体主義志向を隠そうともしない極右老人、米長邦雄が務めていることを含めてのハイブロウな肯定となるあたり、彼が多分にナショナリスティックな、右翼的なスタンスを持つことは疑いようがない。


とはいえ、である。日本社会のコミュニケーション様式への「残念」さの表明といい、そして今回の「日本にはオープンソースの動きは根付いていない」という表現での「オープンソース的な動き」の指摘といい、その志向は、まさしくこの日本の政治的、コミュニケーション的、世間的な因習を改革したいと願う左翼青年の心情そのものではないだろうか。


個人が因習に縛られる身内的な世間ではなく、個人が個人として参加する公的なパブリックを一貫して求めているのが梅田望夫ではないだろうか。


であるならば、振り返ってみて、そして今後とも、彼の発言についてまず念頭に置くべきなのは、梅田望夫とは株式会社はてなの取締役でもなく、日本のWebを引っ張るリーダーの一人でもなく、「愛国左翼」なのだということではないだろうか。


「取締役の立場を離れていう」とわざわざ断りを入れたのも、むしろ彼自身の正直さの現れだったのではないか。


いわば、ハイブロウな左翼が天然発言を繰り返し、それに対してローブローにまで行き渡っている日本のWebがそのボケに突っ込みきれずに誤解を重ねたというのが「梅田望夫とはなんなのか」という問題の原点だということだ。






もちろん、「残念」問題について梅田望夫を批判すべき所はある。


ただ、その「残念」問題とは、日本の「残念」さと同時に、梅田望夫自身の「残念」さがからまり合って発露していた問題なのであって、その両者のもつれを読み解くことがまず必要だった、と指摘しておく必要がある。


その二つの区別がなされないまま、社会の問題と彼個人の問題とがごちゃまぜに扱われてしまったが為に、事態が余計に混乱し、はてなには「残念」津波が発生してしまったのだ。