「なぜ芸能人でもないのにブログを書く人がいるのか」問題

芸能人でもないのにブログを書いてるんですか? - 頭ん中
http://www.msng.info/archives/2010/02/who_blogs.php


「芸能人でもないのにブログを書いてるんですか?」という一見、ポールポジション的周回遅れの間抜けな質問は、その「芸能人」という言葉に込められた意味をひもとけば、実はなんら間抜けでもおかしくも何ともない、むしろ正常な感覚に基づいた発言であることがわかるだろう。


すなわち、こういうことだ。


【私生活を切り売りしてお金を稼ぐこともできない】にもかかわらず、かつ【どこの誰とも知らない不特定多数の人間から無制限に接触を受ける覚悟】もないくせに、【インターネットというマスコミ】に姿をさらしてしまうなんて、あまりに思慮に欠けるのではありませんか?という。


その言葉が示す典型的な例が、「mixiの犯罪自慢日記」であり、「ブログ炎上」であり、「小四ぺろぺろ事変@Twitter」であるわけだ。


さらに個人的な観点から突っ込めば、およそ現実社会の半径2メートル周囲のごく限られた人数内でのコミュニケーションすら円滑に行えない人間が、千差万別の知識や経験、不特定多数の感情や衝動にまともに対処できるとか本気で思ってるの?というものになる。


だからこそ、それにうすうすにでも察知しているからこそ、大多数の人間は匿名を選択することになる。

個人情報流出が怖いから「匿名」約6割‐ニコニコニュース
http://blog.nicovideo.jp/niconews/2010/02/006678.html


が、しかしそれはまた、別の恐怖に対する「順法精神」の現れでもある。

 
つまり、弱い者同士の足の引っ張り合い、陰口、嫌がらせが、実名が漏れたとたんに、具体的な被害として容易に現実化されるというこのすばらしいヤクザ国家日本の「美しい」伝統文化に対する、非信頼型不安神経症式適応というわけだ。






この「芸能人でもないのに」問題をまとめると、大きく二つの問題になる。 


ある種の「フリーミアム経済」パラダイムの世代間格差と、コミュニケーション=認知能力格差とその自覚の問題だ。


正直言って前者など本当に些細な問題だ。深刻なのは後者だ。


「由らしむべし知らしむべからず」をごく自然に当然のように内面化した、幼稚で未熟な認知能力=政治性しか持たない「日本人」が、こうまでブログやTwitterでコミュニケーションを図ろうとしているというのは、まさに狂気の沙汰としか言いようがない、そう思えて仕方がないのだが。