水俣被害の拡大は防止できなかったのではなく、しなかったのである。

 鳩山由紀夫首相は1日、熊本県水俣市で開かれた水俣病犠牲者慰霊式に参列し、「政府として公害防止を十分果たすことができず、被害の拡大を防止できなかった責任を認め改めておわびする」と述べ、患者や患者の遺族らに謝罪するとともに、行政の責任を明確に認めた。
 慰霊式は今年で19回目。訴訟での和解の基本合意や、水俣病被害者救済特別措置法に基づく救済方針が閣議決定されたことを受け、鳩山氏が歴代首相として初めて参列した。現地には臨時の救済申請窓口が設置され、救済希望者の受け付けもスタート。3万人超の未認定患者が申請するとみられる。 


被害拡大防止できずおわび=水俣慰霊式で謝罪−首相(時事通信) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100501-00000074-jij-soci

水俣病「加害者救済」法案――なぜ水俣病が即座に公害認定されずに放置されたか - こころ世代のテンノーゲーム
http://d.hatena.ne.jp/umeten/20090630/p2

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曰く、

<p54-60、二章 2 水俣より>


*1953年頃より発生。
発生から3年後の56年には原因がチッソ工場からの排水であると特定される。
さらに発生から6年後、1959年までの時点で工場廃液が原因との確証は多岐にわたるまでに確定し、有機水銀の毒性の研究も解明される。
59年11月の厚生省水俣病食中毒部会でチッソ水俣工場が原因であることを示す答申が出される。
しかしその翌日、通産大臣池田勇人水俣病の原因が企業の公害であると断定することを「早計」であると一蹴する。
*この政治的留保によって、その後さらに9年間に渡って排水流出は続き、60年代後半までに被害地域が拡大する。


池田勇人は60年には内閣総理大臣に就任し、その中で「高度経済成長」政策をとった。
*その柱のひとつである「農業の近代化」のために、チッソが大量に生産していた窒素肥料は絶対に欠かせない物だった。


1968年、発生から15年後、留保から数えても9年後、公害の原因を認める政府見解が出される。


チッソと同型のアセトアルデヒド関係工場は、この一九六八年を以て、相次いで生産を中止している。時代の基本的な流れであった電気化学から石油化学への転換の中で、この年旧式の製造工程が、最終的に「用済み」になったのである。つまり、被害を予防することにとっては全く意味が無くなった時点になって、初めて原因が認定されている。
生産の効率優先という政策のテレオノミー(目的志向)の、露骨な貫徹である。」(p59-60)

水俣病は企業公害というよりも、国家主導の犯罪である。


だが、その責を認め、謝罪と救済への道を開いたことは、民主党政権成立合ってこそのものであるといえる。