あまりにも素晴らしい自殺批評


前から、疑問に思っていたことがある。


umeten 自殺者を助けたいという人は大勢いる。
だが、「助けて」その後どうしたいのか。そんなことをしていったい彼らが本当に「助かる」とでも思っているのか。
2010年11月18日(木)


そうしていたら、Twitter経由でふとこんな文章を目にすることができた。

山本敏晴の日記:自殺に対する私の個人的な考え方(20歳未満禁) 6791字 - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65488086.html


身が震えるほど感動したので、その要所要所をご紹介させていただく。

誰に読んで欲しくて、こんなことを書いているのかというと、
次のように思っている方に読んで欲しいのである。


1.自殺など考えたこともない方
2.自殺は悪いことだと思っている方
3.自殺について考えることを(無意識に)避けている方
4.自殺する人を哀れだ、かわいそうだと思っている方


以上の人に、
「一般的に知られている自殺の概念とは、別の考え方がある」ということを知って頂くことは、
もしかすると、なんらかの形で、(多様な意見が混在し続ける)「この世界」にとって有益かもしれない、と思うからである。

仮に、あなたが、


「自分の人生には、どんな意味があるのだろう?」
「なんのために、自分は生きているのか?」
「本当に正しいことって、なんだろう?」


などということを、『本気で』考え、それを見出すことが、自分にとって、最も価値のあることだと考えた場合、
子どもの頃から教わってきた「社会通念」を、全部、ぶち壊してみる必要がでてくる。

誰かが正しいこととして作った「教育の項目」(洗脳の項目)を全て、ぶちこわし、
最初の一歩(前提)から、自分で考えてゆくために。

いい高校に入ると、いい大学に入れて、将来、いい会社に入れて、お金持ちになれる、と、教えられていた。
だから、勉強しなさい、と。


で、しかし、ここで、矛盾に気がついた。
自分が高校の受験に合格すると、誰か一人を、蹴落とす(不合格にさせる)ことになる。
自分が、わざと高校の受験に失敗すれば、誰か一人が、幸せになれる(いい高校に合格する)。


だから、「人に迷惑をかけない」ことを最優先するのであれば、「自分は、受験に失敗した方がいい」し、
そもそも「受験などしない方がいい」ということになる。


考えようによっては、「勉強もする必要がないのでは?」とも思える。


つまり、「自分が幸せになろうと努力すること」が、
「結果的に、他人の不幸せ(ふしあわせ)につながる」ことがある、ということを知るようになる。


現在の日本のような「資本主義社会」では、この「競争社会」の原則によって、
はっきり言えば、「弱肉強食」の状態であり、
次のような条件を満たす子どもが、社会で成功しやすくなっている、という現状があるようだ。


(1)与えられた勉強を素直にする、という性格を持つ。


(2)それを吸収する能力が脳にある。


(3)倫理教育を「浅く」うのみにし、深く考えず、「社会適応性」を身につけられる。


(4)他人に迷惑をかけない、ということと、受験戦争で自分が勝ち残る、ということの矛盾に気がつかない。
   あるいは気づいても、それを黙殺(無視)できる。
   (本当の問題から、逃げ続ける性格である。)(あるいは、考えてもしょうがないことは考えない性格である。)


と、いうような、一定の条件を満たす子どもが、受験戦争に勝ち残り、社会で成功しやすい体制になっている、とも言える。

子どもは、いや、人は、知らなければならない。
自分が生きるために、毎日、たくさんの生物たちを殺しているのだ、と。


(具体例をあげると、国にもよるが、例えば、牛を殺す際には、まず、電気ショックで失神させた後、
後ろ足をつかんで、クレーンで引っ張り上げ、宙づりにし、その状態で、頸動脈を切って、血を全部抜く。
大量の血が、床に放出され、血の海になる。
それから、皮を剥ぎ、肉を切りだして、冷凍され、それが、あなたの家の食卓に届くのである。
一度、見てみるといい。あまりの残酷さに、三日ぐらいは、肉を食べようなどと、思わないはずだ。)


で、もしも、最初におそわる倫理教育の項目である
「人に迷惑をかけてはいけない」
「人間も他の動物も同じ生命」
ということを、自分にとっての絶対的価値、と思うのであれば、食事をするたびに、「本当に申し訳ない」と思い、
(間接的にだが)殺してしまった動物や植物たちに、謝罪をし、お詫びをしないといけない、と思うはずだ。

自分の皮膚にも、常に、たくさんの細菌が住んでいるし、空気中にも、たくさんの細菌が、ぷかぷか浮いていると。
で、私たちが、毎分、16回前後、呼吸をするたびに、その空気中の浮遊細菌を吸いこんでおり、
それを、肺にいる、白血球が、殺している。
つまり、他の生物を殺したくなければ、呼吸をするのを止めるしかないのである。


つまり、一言でいえば「私は、生きているだけで、罪」なのである。

受験にかかわらず、(仕事でも)自分が「競争社会」で成功しよう、と考え、それに関して行動する、
ということは、(間接的に)他人に迷惑をかけている可能性が高い。
つまり、もしも私が、「本当に優しい子」だった場合、この矛盾を解消するために、一つの選択肢をとる、


それが、「自殺」だ。

この世に勝手に生まれさせられて、80年たったら、必ず死ぬ。
その死ぬまでの間、死の恐怖におびえ、老いていくことを悲しみ続ける。
(また、そうした、嘆き(なげき)悲しむ感情が、 自分にある、という事実。)


誰が作ったのか知らないが、この「制度」に対して、ささやかながら、
しかし、はっきりと抵抗する方法が、自分でその命を絶つ、という行動かもしれない。


だから、自殺をする、ということは、その人にとっては、ある種の「英断」である場合がある。


もちろん、それが正しい、という気もないが、一つだけ言えることがあるとすれば、
「その人の死に方に対して、他人である、あなたが、口を出す権利はないし、
また、「かわいそうだ」、などと思う必要もない。
もしかすると、その人は、(ある種の)誇りをもって、死を選択したかもしれないのだから。」

そもそも、自殺をやめさせようという人の話を聞いていると、その根拠として、以下の二つが多い。


1.あなたを愛する家族や友人が悲しみますよ。だから、自殺など、やめましょう。


2.生きていれば、きっと良いことがありますよ。だから、自殺など、やめましょう。


この二つは、自殺をする側から見てみると、論拠が、おかしい。

1.については、そもそも、自殺をする、ということは、
「自分以外の人のことなど考えられないくらい追い詰められている」場合が多く、
その人に「(他人である)家族や友人のことを考えろ」というのが、適切かどうか。


また、経済的な問題もある。
例えば、自分が生きていることで、家族に経済的な負担を強いる場合もある。
ようするに、病気で、稼ぎもない、高齢者の場合、自分が生きるために家族から金をもらわないといけない。
家族に、そこまで「迷惑をかける」くらいだったら、死んだほうがましだ、と考える人も(世の中には)いる。

2.については、「生きていれば、楽しいことがありますよ」と言っても、


実際、その自殺をしようという人にとって、その人の「過去の」人生においては、つらいことの方が多かったに違いない。
だから、今後、仮に10年、生きたとしても、その10年の中では、やはり、つらいことの方が、多く起きる可能性が高い。
(と、その人は考えるはずだ。)


楽しいことも、多少あるかもしれないが、つらいことは、もっと多く起こる。
それだったら、死んだ方がいい、と考える人もいる。
だから、この説得方法は、適切ではないと思う。

いずれにしても、「死」も、「自殺」も、常に私とともにある存在であり、


決して、忌み嫌う存在ではなく、また、時に、それを選択する可能性もあり、


だからこそ、今、この瞬間も、「私は、間違いなく、自分で、生きることを選択している」のである。


「どうして、今、私が生きている必要があるのか?」その理由を、刻一刻と、脳に刻みつけながら。


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