「私たち」の喪失と受容と「障害」と

Togetter - 「佐々木俊尚 NZ地震のフジテレビの心ない電話取材について、看護師の方が極めて重要な指摘 @sasakitoshinao」
http://togetter.com/li/107055


漂流生活的看護記録 : 危機介入
http://eboli.exblog.jp/12188108/


報道に求めたい事 - とらねこ日誌
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20110302/1299048530

鳥肌立てて取り立てて、マスコミをあげつらうのはもうよそう。いはんや「マスゴミ」をば。


なぜなら「私たち日本人」は皆、共犯者なのだから。
殺人を、自殺を、事件を、事故を、災害を、ニュースとして娯楽として舌鼓を打つ同好の士なのだから。


何も事は今回のニュージーランドでの地震に限らない。
特に自然災害にも限らない。


ある日、突然降りかかる、ある日、突然踊りでる、ある日、突然暴かれる、
「不運」や「障害」や、あるいは「出自」というものに「私たち」はいつもいつの日も取り囲まれている。
その事さえ忘れてしまっている。
それを思い起こさせてくれただけ良いではないか。


「たかが人一人」の心が不謹慎にも嬲られたところで、「私たち」はそのおかげでこうして「善人面」ができるのではないか。


顔を背けるのはもうよそう。
笑いたければ笑えばいいのだ。
「感動をありがとう」と笑顔を込めて。
「私たち」の幸運を裏書きしてくれて本当にありがとう、という気持ちを込めて笑えばいいのだ。


もしそれが不作法だと思うのなら、その時は顔を背ければいい。
ただし、それでも「私たち」はうすら笑いを浮かべている、その肩に、背中に、両ほほに。


誰も「彼/彼女」を、笑わずにはいられない。笑わないものなどいはしない。


誰が誰を責められるのか。




そんな決定権が「お前」にあるのか!!!




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