書評集『「ひきこもりの国」なぜ日本は「失われた世代」を生んだのか』

ひきこもりの国
ひきこもりの国
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マイケル・ジーレンジガー
光文社
売り上げランキング: 250003


「ひきこもりの国」のクライシス ジャーナリスト マイケル・ジーレンジガーさん(著者インタビュー)
http://info.linkclub.or.jp/nl/2008_04/index.html

【PDFリンク】
明らかに古いシステムが機能不全に陥っているのに、市民によるデモンストレーションすら見られない。経済革命や政治革命が起きないのは、興味深いことだと思いました。


インター ネットのような技術により、個人の創造的表現活動はずっと簡単になりまし た。でも「たとえ個性を殺しても、他のみんなに合わせることを重んじる」日本社会には、そうした流れと相容れない面があります。日本の中ではうまくいってきたことも、21世紀の国際社会では機能しなくなってきたように見えました。
 ひきこもりは、そうした問題を象徴していると思ったのです。社会の硬直性、異論を唱えることの困難さ、過剰なまでの集団への適応など、自分が疑問に思い、指摘しようとしていたことにつながるドアだと感じました。


日本では語られないことも多く、日本人は暗黙のルールの中で育ちます。あいまいとか腹芸ということは美しいコンセプトではありますが、21世紀の国際社会では、それはコミュニケーションとして十分ではありません。家庭や学校、企業は、「異なる意見を認めて、オープンで透明度の高い対話を実行します」と明言する必要があります。そして実際に変わった意見が出たら、たたいたり足をひっぱったりせずに尊重しなければなりません。
 もうひとつ、人々に異なる選択肢を認めることです。東大に行きたくない人だっているし、行く必要もないのです。「大卒で就職して2、3年で仕事を辞めたら、雇ってくれる企業がなくなってしまうかも」という社会は奇妙です。日本に必要なのは、失敗を許容するシステムです。起業の聖地、北カリフォルニアで私が学んだのは、失敗は成功する方法を教えてくれるということです。仕事がなくなるのを恐れて、40年間も我慢して同じ会社に務めていたら、それは人の魂を破壊しますよ。


精神科医斎藤環の書評ブログ : 『ひきこもりの国』マイケル・ジーレンジガー著、河野純治訳(光文社)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/saitoh/archives/2007/05/post.html

自分が取材を受けた本の書評は書きづらいものだ。まして、そのテーマが私自身の専門と重なっている場合は。


東宮御所にひきこもる雅子妃も、凋落する日本経済と停滞する政治も、異常なブランド崇拝やオタクの存在も、上昇する自殺率も、国際的孤立も、みな病根は「ひきこもり」と同じ。「セルフ・エスティーム」の感覚を欠き、他者を閉め出し、ひとと違うことをタブーとして異常なまでに均質であることを志向する日本人の国民性によるのだという。


著者はひきこもりの当事者を直接には批判せず、病める日本社会の犠牲者とみなす。本書を読みつつ覚える不安や不快感のかなりの部分は、著者の指摘が正鵠を射ているためとも考えられる。


いくぶんの曖昧さを持って、筆者が最終的に示す解決策は「寛容」「多様性」「信頼」の実現であるという。この点にはまったく異存はない。それは日本のみならず、あらゆる国が目指すべき目標であり、「ひきこもり」の解決もまた、われわれの寛容さにかかっているという点も含めて。


フリーライター石井政之の書評ブログ : 『ひきこもりの国』マイケル・ジーレンジンガー著(光文社)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/masaishii/archives/2007/05/post_4.html

●ひきこもりという静かな反乱は拡大する●
この本は、ひきこもり問題の取材をしたアメリカ人ジャーナリストが、若者の個性を抹殺し、彼らをひきこもりに追いやる日本社会の構造を分析したものである。結論の一つとして、国際社会のなかで日本という国全体がひきこもっていることが示されている。


異議申し立てを許さない世間の圧力、建前と本音を使い分ける多重人格的な精神生活、個性がない空虚な自分を埋めるためのブランド信仰、日本よりはるかに精神の自由を感じさせる外国に住んだ日本人が国内ではストレスで苦悩する現実、先進国でもっとも起業が少ないチャレンジを許さない社会風土、世界最強の消費者となった日本の独身女性たちの多くはパラサイトシングルであり日本の将来に絶望しているということ。年間3万人以上が自殺してもなんの手だてもうてない無策きわまる政治。記者クラブによってジャーナリズムが機能しなくなった惨状、しかし、まっとうな主張を掲げた大規模な抗議運動(デモ)が起きない、起こせない日本社会。
こういった「ありふれた事柄」が丁寧にまとめられているのである。


日本人は外面も内面も、周囲から浮かないように、と怯えながら生活している。この掟を破ると、集団で排除されると信じられているからだ。
その集団的な同調圧力に抵抗する方法のひとつが、ひきこもりなのである。周囲に心を同調させることができない孤独な魂を引き受ける集団を育てる力がなくなった社会では、彼らは自室に立てこもり、たった一人で世界と対峙するしかない。
 この国では、異議申し立てのノウハウは継承されていないため、ひきこもりという静かな反乱は拡大の一途である。
 安易な希望は書かれていない。それが良い。


ひきこもりの国 / 日本のここがおかしい
http://www.mypress.jp/v2_writers/yuigahama/story/?story_id=1602212

ひきこもりの国とはいうまでもなく、日本の事です。紹介によると、原題はさえぎられた太陽というのだそうで、古事記にある天の岩戸に隠れた天照大神をひきこもりの原型としてイメージしつつ、原題日本の病理を語ろうとする本のようです。
 そして、“凋落する日本経済と停滞する政治も、異常なブランド崇拝やオタクの存在も、上昇する自殺率も、国際孤立もみな病根はひきこもりと同じ。セルフエスティーム(自己尊重)の感覚を欠き、他者を閉め出し、ひとと違う事をタブーとして異常なまでに均質であることを志向する日本人の国民性によるものだという。”と辛辣に書かれています。


自立心がなく、依存心が強い、自分に自信がないから、ブランドで飾るしかない。依存心が強いと自分で物事を考え判断するくせはつかず、自分で判断できないから、人と同じだと安心する。その同じという色に染まった者以外は排除する排他性。そのの色にどうしても入れない人のオタク化とひきこもり、悪くすると自殺。こういう社会からは独創性が生まれないので、先進国のものまねができなくなった時から始まった経済の凋落。出る杭はうたれるので、強い政治的リーダーシップが生まれず、政治はいつまでたっても、変わらない、超保守的社会。


マイケル・ジーレンジガー『ひきこもりの国』 - heuristic ways
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20070408

 ひきこもりという行動は、脱工業化が進んだ同一性重視(モノカルチャー)社会に対する、ふつうではないが、きわめて理にかなった異議申し立てなのだ。
 これらの若者たちは、好きこのんで社会的孤立を選んだわけではなく、そうするよりほかに道がなかったのである。(マイケル・ジーレンジガー『ひきこもりの国』)
※1:この本の原本(英語版)については、上山和樹氏が紹介している。ジーレンジガー氏による上山氏へのインタビューのくだり(第3章)も興味深い。


この本は、1996年から2003年までの7年間、ある新聞社の東京特派員兼支局長として日本に在住していた著者が、90年代以降の日本の政治や経済の行き詰まりを象徴的に表わす存在として、多くの「ひきこもり」の若者たちに注目し、そこから「この国の人々を抑えつけ、内発的な変化を妨げてきた、異様なまでの社会的、文化的、精神的制約について解きあかす」ことを狙いとしたものである。日本社会の中に「ひきこもり」と呼ばれる人々がいることと、日本が国際社会の中で孤立し、いわば「ひきこもり的」な国と化していることとが、パラレルに論じられている。著者は「ひきこもり」という言葉をheuristicなメタファーとして見出し、現代日本の解読キーとして用いている


「ひきこもり」という現象を、個人的欠陥や怠惰と見るのではなく、支配的な社会・文化システムに対する諸個人の反応の形態と見る視点、つまり公共的な問題として捉え、これを国際的に紹介したことは評価されるべきだろう。
さらに、ジーレンジガー氏は、少子化や晩婚化、ブランド崇拝、自殺・うつ病アルコール依存症の発生率の高さといった諸現象についても検討し、比較のモノサシとして近年の韓国社会の改革を取り上げ、日米関係の「共依存」ともいえる性格が互いの社会病理の原因となっている可能性を示唆している。


水面のさざなみ: ★「ひきこもりの国」なぜ日本は「失われた世代」を生んだのか
http://pub.ne.jp/sazanami22/?entry_id=1685980

 現在の日本というのは閉じられた狭い世界のなかで虐めや自殺者が多い社会だ。だが政治家や高級官僚たちは起こっていることを直視せず、目を逸らして逃げ続けている。うわべとは違って古いシステムがなお生き残り、それが部外者(貿易の面などは顕著)を閉め出そうとする。内側の人間には過度の抑圧を強いる社会だ。疲弊したシステムをなお堅持し、手放そうとしない国。うわべはともかく、海外にけして門戸を開かない国なのだ。そのため巨大な日本丸という船はゆるやかに衰弱していきつつあるというのだ。

「ひきこもりの国」
http://hikikomorijapan.com/jp/page3/page4/page4.html

「ひきこもりの国」から

服部雄一は、カリフォルニア州立大学ロスアンゼルス校で学んだ心理カウンセラーで、1999年以降、東京近郊、狭山市の自宅に併設した小さなクリニックで、30人以上のひきこもり患者を治療してきた、、、、ひきこもりの治療において、家族全員が関わることが重要だとする斉藤学や、しばしば薬物療法を用いる斉藤環とは異なり、服部は、ひきこもりを脱するには、真の感情(本音)を抑圧している内なる障壁を突き破らなければならないと考えている。つまり、通常、患者を家族から完全に隔離するのである(p116)

服部のもとで治療を受ける患者はみな中流か上流階級の出身で、その3分の2以上が男性だ。服部は患者たちについて、感情の飢餓状態にある、と評している。「彼らは自分の置かれている状況が分かってないことが多い。ひきこもりは、森の中で道にまよってさまよい歩く3歳児のようなものです」と服部は言う、、、服部の患者はみな「良い子」になるために苦闘してきた。彼らは両親の愛情を獲得するために「表」すなわち偽りの人格を作りあげている、、、ひきこもりたちはいつも内なる自分と戦っている、と服部はいう、、、服部によれば、この「見せかけの外面」は、本当の自分が表に出てしまうと見捨てられるという恐れから、ごく幼い時期に形成されるという。(P117)

二つの人格がいつも対立している状態が続く。そのような内面の葛藤が続くため、患者のほとんどがついには精神的に疲れ果て、「燃え尽きてしまう」と服部はいう。最後には完全に打ちのめされて、感情のないゾンビになる。(p118)


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