震災などなかったが、気分だけはもう戦争


気分はもう戦争
総力戦の焦土戦。
「まるで日本全体」が地震津波原発放射能にまみれてしまったかのように雰囲気づけられて、そこで持ち出されてきた言葉が、金と引き替えの「絆」。
文化人を一発殴る代わりに、皆で拳で語り合った気分に「させられて」しまっているのが今の日本。


どこにそんな都合の良い日本人がいて、どこにそれとは「無縁」の人間がいるのかを、もう一度考え直さなければならない。


大多数の日本人にとって、震災などなかった。
大多数の日本人にとって、原発問題など無かった。


それをさも、自分の問題=「日本人の問題」であるかのように語っているのはいったい「どこ」の「どういう」「誰」なのか。
その切り分けさえされずに、まるで日本全土が地震津波とに原発という「自然災害」に見舞われているかのようにごまかされている。
まるで「日本人全員」がその問題に「取り組める」ものだとみなされている。


もちろん、これから別の新たな震災が起きるのかもしれない。
富士山が花火を上げるのかもしれない。


だが今、とりあえずウチにはガイガーカウンターは無い。