『愛とユーモアの社会運動論』第一部読了



ひさしぶりに大学の授業を受けているような気分になった第一部だった。
まあ、こんな<社会学的資本主義論>のような濃い授業は受けたことがないのだが。
というか、この手の「まともな」薫陶を得たことがない時点で、灰色の脳細胞は最初から壊死していたのかもしれない。
いや、そもそもそんなものはカラッポの頭の妄想だったのかもしれない。


ひどく暗い、人を「疲れさせる」第一部が終わったところで、やっと氏の本音が出てくるであろう第二部へと移る。
もちろん、第一部でもところどころその本音は(こじつけ気味に)漏れ出していて、それは改めてサイレントテロとの決定的な違い、サイレントテロとはなんなのかを振り返るような材料にもなったのだった。


ややもすれば好意的な書評にはならないかもしれないことはないとはいいきれない可能性がありますです(うわあ)


ちゃんとした書評は全部読めてからと言うことで。


「疲れた」。